ネットで本名を晒す危険性~低能本名主義に愛を込めて花束を~
先日、読んだ。
実名での誹謗中傷(下図のCに相当)を誇る人がいますが、そんなハイリスク行為をしても現実社会で支障が出ないこと自体が、自らのリアルにおける影響力の無さを証明している皮肉。人並みの地位や人間関係を持っていたらそんなことできません。 http://t.co/nLQ6Dx9LNF
— ryoko174 (@ryoko174) October 14, 2013
うん。これはある。これはあると思うぞ。
ポイントはふたつだな。
- ハイリスクなことに気づいていない
- リアルにおける影響力の無さを証明している
これはあると思うぞ。
かくいう私も本名だし(Twitterもブログも)。
“リアルの世界において影響力がないから「本名」で活動している、あるいは活動ができるのだ”
これはまったくそうですな。うむ。
「あとあと後悔するぞ」&「ネットで本名でやってもリスク大きいよ。You、それに気付いている?」&「本名だからつって、偉いことなんて何もないぞ!」
なぜネットで本名を名乗るのか?
以前、ボクはこんな記事を書いたっけ。
「リアルな世界で影響力がないから、ネット上でちょっとがんばろうや。いいことあるんじゃない?」ってこと。
メリットはゼロじゃないんだよ。たぶん。
匿名よりも本名のほうが説得力(というか圧迫感)が増す。
「リスクあるのに本名でやってるよコイツ」、ある種の「ガチでやってる感」があって、「たかがネットなのに、コイツ真剣にやってるんだな」、というのは幾らかあるんじゃないかと思います。
……ま、そんなことよりも、なんつーか、結論、
「匿名の人」は、会える気がしないんだよ。
匿名のカキコミは「へぇーおもしろいなぁ」とは思うけど、街中にある壁の落書きみたいなもんで、どこの誰かもわからんし、落書きの主とは会えないよね、基本。
匿名のカキコミは「見かける」で終わる。参考程度で終わる。
他方、実名のカキコミは「会える」で終わるかもしれない。
実名は匿名の人よりもリアリティがあって。この世界に生息している、現存していると思える。匿名は幽霊っぽいけど、実名は「この人は本当にいる人だ」と思える。
いずれも「思える」「思ってしまう」というレベルだけど、
この差、あるんだよ、ボクの中で。しかもけっこうデカイ差が。
読んでもらえるような人じゃなくて、会ってもらえるような人になりたいって、たまに思うんだよ。たまにだけど。だから本名を使うのかもしれないね。
また、ネットを職場にするならやっぱ本名じゃないか?とか、あと、ネットとリアルの境目とか、「もうそんな時代じゃねぇだろ」的解釈もある。
まぁそんなのはどうでもよくて、
「俺のリアル(現実生活)なんてクズでカスで死にたいから、せめてネットでは本名でいく」という自暴自棄もあるだろう。
賢くないのでネットで本名を使ってしまう
で、最初に戻るけど、
「リアルでダメなやつだからこそ、ネット上で本名を名乗ることができる、あるいは名乗ろうとする」
という背景があります。
全くそうだろうな、と思います。
てか、ネットで本名を使用するメリットなんて、あんまり無いんだよね。あったとしても、“そういう可能性がある”という域を越えん。
つか、むしろリスクのほうが多い。
「え、じゃあ、なんで本名でやるの?バカなの?キミ、バカなの?」
まぁ、一言でいえば、そのとおり。バカです。
先ほど記述したメリットなんざ、それこそ「リアル(現実)でダメな人」の発想なのかもしれません。「そんなんだからお前はリアルでダメなやつなんだよ!」って話。
たぶん、賢明な一般人はリスクをきちんと把握し、ネット上で本名を使用せず、「匿名」を選択すると思います。
(賢い、賢いよ。俺、そんなに賢くなれないよ。てか、本名を使っているのも、“なんとなく”だよ、ぶっちゃけ。ペンネーム思いつかなかっただけっす。消して、だれか俺を消して。)
そういや、以前、こんな記事も書いたよボクは。
「本名にしなきゃ生前の記録にならんだろ」という、極めて低能な文章ですが、これは前述した自暴自棄の延長でもあり、根底には安っぽい「死にたい願望」が流れています。
結句、泥沼化、負のスパイラルに溺れ死にます。
いいことなんて、ひとつもありゃしない。
ネット上で本名を名乗るメリットはたいして無く、むしろリスクのほうが多く、まとめると、「実名やめましょう、匿名でいきましょう」となります。
つまり、ちょっとバカじゃないと、つか、バカだから本名を名乗るのです。
バカになりたい、人生に失敗したい
さて、横暴、いきます。
バカになりたいんですよ。人生に失敗したいんですよ。
マゾヒスティックなやつです。バイアスはタナトス。
「リスクのほうが大きくても、あえてそっちを選びたい」んですよ。
みんなが「本名なんてなんのメリットもねぇよ」といえば、「じゃあそっちを選ぶよ」というひねくれクソ根性でもあります。
そのほうが失敗する率が高くても、そっちのほうがボクには面白いんです。
本名でいくか迷っていた時、「本名を拒む流れに逆らうほうが面白そうだ」って、一瞬、思ったんですよ。
で、「ボクがそう思ったように、みんなにとってもそのほうが面白いんじゃないか?」って、一瞬、思ったんですよ。
たとえそれで失敗しても、「あーもう、死んでやろうじゃないか」って。壊れていく感じ、失敗して終わっていく感じが気持ちよくて。ボクみたいなカスにもデカダンス思考あるんですね。
価値観の話。
「成功も失敗もせず終わる」ならば、「失敗して終わる」ほうが、納得して死ねる。
ともすれば、「失敗して終わっていく様」には、美しさがある。
『勝者の笑顔よりも美しく感ぜられる後ろ姿が、敗者にはある』って、ボクは信じているんですよ。
ボクはそっちをとる。
本名を名乗ることが敗者の愚行だとしても、そっちのほうが面白い、そっちのほうがキレイな負けっぷりとなるなら、ボクはそちらを選ぶ。
ただ、思う(ここ重要)。
本名だからっつって、なんもスゴイことなんてない。
もしも本名であることを笠に着て偉そうにするなら、それこそマジでバカだ、と。バカだけどそのバカになっちゃあいけない、なぜなら、その失敗は美しくなかろう、と、そんな価値観はある。
***
すまん。またつまらん長文を書いてしまった。
でもブログに書かないと、うっかり、現実生活で友達にこういうこと話してしまいかねない。
そんな迷惑行為をまぬがれただけでも、まぁよかった。
じゃ、また来てくれよ。雨の日も風の強い日も待ってるから。
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