お金にならない仕事をしているか?
どうですかね。いや、ボク自身がそうだ。
「仕事をするならお金がほしい」あるいは「お金をもらえるから仕事をする」
そりゃそうだ、そうだろう。
たいせつな人や自分自身を守るために、お金が必要なときがある。
口先だけの道徳なんかより、お金には実効力がある。
それに、金欲と云えば聞こえが悪いが、だれだって贅沢がしたいもんだ。
それを罪深いことだとは思わない。
お金には魅力があるんだよ、なんだかんだ。
たとえばさ、仕事が多少きつくても、お金がもらえるから、我慢ができたりする。
給料が入ると「許せる」んだよな。
給料を手にすることで、仕事のしんどさを、「許す」ことができる、「忘れる」ことができる。
まったく、バカバカしい。ひどく悲しくなる。
お金には魅力がある、よくわかんないけど、とりあえず魅力がある。
“よくわかんない”理由としては、いろいろな場面でお金は応用がきくから、特定できないんだよな、その魅力を。
特定の、一部で、効果的なんじゃない。
使い道、使い方がいろいろあって、お金は応用力がハンパねぇんだよ。いろんな場面で活用できる。
だから、漠然と魅力的であり、また、常に魅力的である。
つーか、そもそも、生活するためにお金は必須っていう。
……まぁ、んなことはどうだっていい、どうだっていいんだよ。
当たり前のことだ。
でもね、たまに思うんだよ。
たまさにさ、
「お金にならない仕事」が魅力的にみえるときがあって。
そういう話を今日はしたい。
「お金にならない仕事」
「お金にならない仕事をがんばってみたい」って、そう思う瞬間がある。
『おいおい、また始まったよ、てめぇはいつまで厨二病だよ?イタいんだよ』って、キミはボクを馬鹿にするけれど。
さて。
「お金がもらえるから仕事をがんばる」
言い換えれば、仕事をがんばる理由は、お金がもらえるから。
これ、実にシンプルだよね。
がんばる理由が明確だよ。
じゃあ、問うてみる。
『がんばる理由がなくても、人はがんばることができるか?』
どうだろう?キミはどう思う?
がんばる理由がなくても、人はがんばることできるかな?
理由や目的がなくちゃ、人はがんばれないのかな?
「いや……、そりゃそうだろ」
うん、そうだろうね。ボクもそう思う。
がんばる理由がないと、人はがんばることができない。
じゃあさ、ちょっと話を戻すけど、
お金にならない仕事をがんばってるやつってのは、一体、何を理由にしてがんばっているんだろ?
お金や家族のためっていう、よくある“ベタな理由”じゃなくて、それ以外の理由でがんばっている人。いるよね?
「なんの得があるんだよ?」ってツッコみたくなる。
彼らは、お金以外の何を目的としてがんばっているんだろう?
「お金にならない仕事」、そういう場面、ない?
「こんなことやったってお金がもらえるわけじゃない」、そんな場面。けっこうあると思うんだよね。
そういう場面で、ふたつに別れるんだよ。
がんばる人と、がんばらない人。
お金がもらえないのにがんばる人、そして、お金がもらえないからがんばらない人。
ボクはそういうときにね、「お金にならないのに、たいしたメリットもないのに、“慈善的”にがんばっている人」って、なんか魅力的にみえるんだよな。
「は?馬鹿じゃねぇか?何かっこつけてんだよ?そんなにモテたいか?」
いや、ここでは他者目線の話をしているんじゃない。
「お金がもらえないのに、たいしたメリットもないのに、がんばる人」、そんな人が魅力的にみえて、時に、自分もそうなりたいと思うことがあって。
お金になる仕事には、目が輝く。
お金にならない仕事は、目につきにくい。
極論いっちゃうと、「お金になる仕事をがんばる」なんて、誰だってがんばるよそりゃ。
他方、「お金にならない仕事をがんばる」ためには、お金以外の理由を見つけなくてはいけない。
それって、むずかしいことだ。
お金以外の、がんばれる理由を見つけること。
さぁ、一体それはなんだろうね。
お金を目的にして、お金を稼げていない
繰り返すよ。くどいよ。
お金になる仕事には、目が輝く。
お金にならない仕事は、目につきにくい。
「お金になる仕事」っていうのは、見つけやすいんだ。
お金自体が、魅力を放っているから。
逆に、「お金にならない仕事」は無視してしまう。見つけにくい。
もう一度問うてみる。どうなんだよ?どうなんだよって。
お金以外でがんばれるものがあるか?
キミはこう言う。
「はぁ?うるせぇよ。お金には魅力があるんだから、必要なんだから、お金を目的にがんばってもいいだろうが」
ボクもそう思う。
でも、そう言うけれど、どうだろうか。
「そんなキミはまったくお金を稼げていないじゃないか?」
どうだよ、どうなんだよ。
つまり、お金を目的にしていながら、お金を手にしていないじゃないか。
ボクはそういうときに、こう思うんだよ。
「じゃあ、お金以外のことを目的にすべきじゃないか」、と。
いや、少し違う。
そもそも、「お金」を理由や目的にしてがんばることが不向きな属性なんじゃないの?って。わたし自身が。
むいていないんだよ、得意じゃないんだよ。
だから、だったら、「お金以外の目的を探そうぜ」って、
「そっちのほうがお前にはむいているんじゃないの?」って。
キミはこう言う。
「は?お前、バカ?お金が必要だっつってんだろ」
うん。そうだ。
でも、ボク自身に必要なのは、お金だけじゃないんだよ。
“がんばること、がんばる自分”がまずは必要だ!
ボク自身に必要なのは、お金だけじゃない。
“がんばること”も必要なんだ。
ところで、がんばってる?
何かを必死でがんばってる?
そこで、「お金を目的にしてがんばれるものがある、同時に、その目的を達成している」と答えられる、
そういう人は、それでいいと思う。
でも、「お金を目的にがんばることができない、あるいは、その目的を達成できていない」、
そういう人は、「お金以外の目的でがんばれるもの」を探したほうがいいんじゃないか。
お金は必要だ。どうあがいたって、お金は超必要だ。
けれど、それ以前の問題でぶつかっているんだよ。
なにか?
“がんばること”だ。
そもそもが、がんばっていないんだよ。
お金を稼ぐ以前の問題だよ、これは。
まずは、何よりもまずは、「がんばること、がんばれるもの」が必要であり、
「がんばれるものがない、取り組んでいることがない」って、お金を稼ぐ以前の問題だ。
だから、「まずはがんばれることを探そうぜ」、って。
「お金にならない仕事」であっても、それをがんばれる自分がいるなら、まずは、そんな自分自身を最優先に大事にしてやろうじゃないか。
お金を稼ぐ稼げないなんてのは、そのあとだろう。
「お金にならない仕事」は無意味じゃない、がんばれる自分がいるなら、意味がある。発展性がある。
逆にさ、「お金」を目的として、がんばっている、
といっても、お金を稼げてないという本末転倒っぷり、あるいは、実は何一つがんばっていない、がんばれていない、
それって惨劇じゃあないか、まったく。
***
ダラダラと冗長でクソみたいな文章が続いてしまった。
要点はひとつ。
「お金にならない仕事にもうちょっと着目してもいいんじゃないか」って。
お金が稼げていないからって辞めちまうのは、もったいなくないか、って。
がんばれる自分がそこにいるなら、それでいいんだよ。
なんか、ボクはそう思うんだよな。キミは腹を抱えて笑うけども。
じゃあまた。
|
