「WHITE ALBUM2」アニメ感想:切ないのだが、切ないと思える自分がいた
「『WHITE ALBUM』というアニメがおもしろいっすよ」
と、知人に教えてもらい、視聴。
WHITE ALBUM1および2、一気に見た。
ちなみに、原作や声優さんなどの知識はボクにはまったくない。
が、たのしめた。おもしろかった。
特に「WA2」は、話としてまとまっていてよかった。
「10話目からこんなに盛り上がるなんて聞いてないっすよ!心の準備できてなかったわ!」と、激昂したくなるほど、終盤の盛り上がりは熱かった。
が、内容に関して評するのはどうも苦手なので、個人的なことでも書きます。暇なので。。。
失われたボクの高校時代
「WHITE ALBUM2」。
一言で言えば、
舞台は高校。学園祭をからめた恋愛のアニメ。季節は冬。
ありがちな設定ではあるけれども、
もう、この時点で、この設定の時点で、「もう、見ます」と。
「服従させていただきます」、と。
「切なくなるに決まっております」、と。
というのも、ボクにはそういった経験がないからだろう。
高校自体ちゃんと行っていなかったし、当然、恋愛なぞまったくの無縁である。
「高校時代の青春が無い」、これはおっさんになっても、10年以上経った今でも、大きな影響をもたらしている。
結果、こういったアニメやドラマ、映画、漫画に触れると、
“切なく”なるわけだ。そういった経験がまったくないから。取り返せない、やり直せるものでもないから。
アニメを見るのが上手(?)な人は、
斯様なるボクのように、「自分の人生とリンクさせて感慨にふける」という行いを「芳しくない」と思うかもしれない。
作品鑑賞において、その出来栄えの良し悪しに感嘆すること、「個人的な過去と関連付けて観る」というのは、ちょっと無粋かもしれない。
そういった意味では、ボクは鑑賞者として、評者として、一人前にはなれない。
そういったことを前提に読み進めていただきたい。
枯渇した恋愛感情
“切なくなる”理由としては、失われた高校時代だけではない。
もはやボクには、異性に対する“恋愛感情”が枯渇しているんではないか。
“ときめく”、“ドキドキする”、そういったことが無い。
……いや、そういった場面がないだけかもしれない。
場面さえあれば、そのようなトキメキ感情は発露するのかもしれない。
が、そんな好都合、まさに“好都合”、期待はできまい。
ゆえに、斯様な恋愛アニメでもって、疑似体験する。
“ときめく”、“ドキドキする”
いわずもがな、これは性欲とは異なる。言うまでもない。
暗にボクは気づいている。
“性欲はあるが、トキメキがない”、そんな日々に気づいている。
また、それが酷く残念なことであることを、ボクは“隠している”。
なぜなら、求めても一向に手に入らないからだ。
脱却したくとも、脱却する術がボクの日常に見当たらない。
結果、どうなるか。
求めても手に入らない、その結果、こちらから突き放す。
それが先に述べた、“恋愛感情の枯渇”という状況を生み出している。
ボク自身に原因があろう。
場面さえあれば、そのようなトキメキ感情は発露するのかもしれないのだが、それを好都合だと称して、期待どころか、求めることを諦めてしまった。
“求めても手に入らない”、結果、求めることを諦めてしまった。
これを否定するつもりはボクにはない。
なぜなら、これこそが「切ない」という感情の源泉だからだ。
“なんでもかんでも手に入る”、あるいは、“手に入ると思っている”と、「切ない」という感情はどこからも生まれない。
求めても手に入らない現実は、涙を呼び起こし、渇いた感情を濡らす。
個人的に、それはなかなか美しい涙ではないかと思う。
切ないが、切ないと思える自分がいる
斯様なアニメや、恋愛ドラマ・映画を見るたび、思う。
“トキメキ”という感情を、まだ失っていないのだ。
現に、ボクは、ときめき、ドキドキしているではないか?このアニメを観て。
失ってはいない。
繰り返しになるが、現実の自分と空想の物語をリンクさせるのは、無理があって、幼稚な見方であると思う。
「学園祭で演奏する」とか「放課後、女子と会う」とか、そのような場面への憧れやトキメキ、
それを楽しむことは当然のことだが、
さらに一歩突き進めて、
そのような感性が今もなお「自分自身」にあるということを確認する瞬間でもある。
自分の確認――、
あわよくば、無感性な日常に埋もれてしまった自分自身を掘り起こせはしまいか、と。
性欲のみが浮き彫りとなってしまった己の男性“性”と、恋愛感情への諦めに、すっかり浸りきってしまうのではなく、
『されど完全には捨てきれていないトキメキ感情』は、自身の潤いとなって、“切ない”のだけれど希望を感じさせてくれる。
切ないのだが、切ないと思える自分がいることが、なにか、勇気をくれる。
それは、アニメだろうが現実だろうが、も早、関係あるまい。
***
こんなことをマジに書いている自分自身を「まったく馬鹿げている」と思うが、まぁいい。
“夢中になる”というのは、盲目性をおびて然る可きで、
そのような作品と出会えたことに、喜びと感謝を。
ではまた。
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