やりたいことよりできること@時間の奴隷になる
やりたいことがあるけど、できないっす。
「は?なんで?」
時間がないんですよ。仕事が忙しくて。
「はい、でた。言い訳。」
・・・まぁ、こんなやりとりがあって。
そうですね、
仕事をやめる勇気なんてボクにはないです。
こちとら、なんにも積上げてこなかった、経験の少ない、特別なスキルもない、普通の人間、なんの取り柄もない凡人です。どうもすいません。
普通に働いて普通に死んでいくだけです。才能なんてマジないので。
だから、働きます。ふつうに働きます。
やりたいことがあっても、それを第一優先に行いません、行えません。
仕事をやめてまでもやろうと思いません、思えません。ボクは凡人です。
結果、『やりたいことはあるけど、時間がない。仕事が忙しくて。』という状況に陥る。
いや、いいんですよ、全然いいんです、凡人なんだから。才能なんてマジないから、それでいい、当然だってボクは思っている。
「言い訳だね」、成功者や秀才によるそんな発言は無視していい。こちとら凡人ですから、才能のある人間ではないので。すいません。
やりたいことより、できること
さて、となると、
「やりたいこと」なんて夢のまた夢、というか、働くので精一杯で、やりたいことをやる時間がありません。
さぁ、どうしよう。
「やりたいことはあるけど、やる時間がない」
さぁどうしよう?
決まっている。
「限られた時間の中で、できることをやるしかない」
つまりは、「やりたいことよりも、今、できることをやる」。
おっと。間違っちゃいけない。
これは決して積極的な姿勢ではない。
「やりたいことを『やるべきこと』と考え、仕事よりも何よりも、自分がやりたいことを第一優先に行う』
こういったダイナミックな態度こそが【積極的】である。
「限られた時間の中で、できることをやる」、だなんて、消極的なことだよ、まったく。
けど、繰り返すよ。
凡人なんだよ、ボクは。
所詮は、「与えられた僅かな時間の中で、できることをやるしかない」、そんな凡人なんです。
いったん捨てなきゃいけない。「自分のやりたいこと」なんて、それを行う時間がないのだから、捨てなきゃいけない。
時間の枠内で、できることを決める
「時間の奴隷」になるしかないんだよ。ボクみたいな凡人は。
つまり、『やりたいことをやるために時間を創りだす』のではない。才能ねぇんだから、そんなことできるはずがない。
時間が、やるべきことを決めてくれる。
自分が決めるんじゃない。
「与えられた時間の中できること、それが自分のできること」。
たとえば、一日の中で自由に使える時間が30分しかなかったとする。
この場合、『30分でできること』が、今、ボクにできることだ。
ボクは考える。
「30分でできることは何だろうか?」、と。
自分が『本当にやりたいこと』は、どうしても1時間以上かかる。
けれど、30分しか時間がない。
ならば、『本当にやりたいこと』は一旦捨てて、『30分でできること』を見つけなければならない。
今行うことは、自分で決めるんじゃない。与えられた時間が決める。
通勤電車での移動中しか自由な時間がないなら、その中でできることを考える。
5分しか時間がないなら、5分でできることを考える。
やりたいことは何か?などという積極的思考ではなく、できることは何か?という消極的な思考。
しかも、それを決めるのは自分じゃない、与えられた時間が決める。時間で決まるのだ。
自分のやりたいことや自由意志なぞ、一旦捨てる。捨てちまう。だってそれを行う時間はないのだから。時間を創り出せない凡人なのだから。
与えられた時間の枠内で、できることを考える。
そんな時間の奴隷、そんな凡人でしかないのだから。
***
ちょっと思ったことを書いてみた。
まぁ、凡人による平凡な発想なんで、天才は無視してください。
じゃあまた。
ところで先輩、最近元気にしてますか?オレは辛いときもあるけど、なんとか元気にやってます。
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