たいへんおもしろい記事だったので、ブログに書いてみる。


よくあることだ。

別れた後でも、『あの人は今でも私のことを好きなんじゃないか?』と思ってしまうこと。

が、そんなものは思い込みに過ぎない。

問うたのか?問うていないだろう。

だのに、なぜ、このような思い込みをしてしまうのか?

モテない私が書くなぞ愚の骨頂であるが、こういうことじゃないか?


付き合っていた頃の私の記憶



付き合っていた頃、カレ(カノジョ)は、何度も、何回も、私のことを「好きだ」と言っていた。

「好き」と言われることがうれしかった、喜んでいた当時の私。

その記憶が別れた後も残っているのだろう。

『好きと言っていたカレ(カノジョ)』と、それに『喜んでいた私』の記憶。

「あれほど好きだと言っていたのだから、そう簡単に嫌いにはなれないだろう」と推測する。

なぜ、そのように独断で推測してしまうのか?

「あれほど『好きだ』と言っていたのだから、今でも好きだろう」と
別れた後でも思ってしまうのは、「あれほど好きだと言っていたから」ではない。

『喜んでいた私』の記憶とむすびついているからではないか?


カレ(カノジョ)の「好き」という言葉に、パブロフの犬のごとく反射的に喜んでいた当時の私が抜けきっていないのだ。

「カレ(カノジョ)の好きという言葉」⇒「喜ぶ私」、このような記憶が濃く染み付いており、

「元恋人はいまだに私のことが好き」と思うことで、「喜んでいた私」、正確には『喜びという感情』をリフレインする。味わっているのではないか。



ヒトに愛される安心



“愛される”ことは心地良い。

なぜ、“愛される”ことは心地よいのか?

“愛されない”ことが恐ろしいからだ。

ここでいう“愛される”とは、「好きな人から“愛される”こと」ではなく、「ヒトに“愛される”こと」である。

「自分の好きな人から愛されていない」恐怖ではない。

対象が個人ではなく、あくまでヒト。

「ヒトに愛されないこと」が恐ろしい。

「だれからも愛されないことは怖いこと」、こう述べたほうがわかりやすいかもしれない。

元恋人なんて、付き合っていた頃と比べれば、どうでもいいだろう。

元恋人になった時点で、『ヒト』なのだ。恋人ではなく。

が、元恋人であろうと、ヒトである。

ヒトに愛されることは心地よく、ヒトに愛されていない恐怖から逃れることができる。

この安心は恋人でなくとも得られる安心である。

恋人ではないので、基本どうでもいいのだが、「あのヒトは今でも私のことが好き」、そのように思うことで得られる安心がある。元恋人はヒトであるから。



いざというときの保険


「元カレ(元カノ)と連絡をたたないのは、いちおう保険のため」

道徳上とがめられるので、言葉では発しにくいし、発したくもない。

が、そのような心理が、実は本人の中にあるのかもしれない。

“50歳になって一人ぼっち”が嫌なのかもしれない。

“元の鞘にもどる”なぞいう言葉があるが、“帰れる場所がある”ことで、安心を得られる。

言い方がクズであるが、「貴重な保険」である。

また、性欲ある男子にとって、「性交したいときに性交できる相手がいる」というのは、安心と保険となる。

道徳上、クズであるが、人間にはそういったクズの側面がある。

「相手がまだ自分ことを好きだ」と思い、保身に勤しむ。


別れた後は、確認する必要がない



付き合っているときは、「相手の気持ちを確かめたくなる」ものだ。

カップルがイベントやプレゼント行事を大事にするのは、都度、「私とカレ(カノジョ)」との距離を確認するためである。


付き合っていた当時は、「私のことが好きであるか?」を定期的に確認していた、確認する必要があった。

なぜなら、「私のことを好きでない」なら、恋人という関係性が崩れてしまう。

相手と自分がどういう「関係」であるか、どの程度の「距離」があるか、それを把握できていないと、「ヒト」一般になってしまう。つまり、恋人でなくなってしまう。

「付き合っている」というのは、両思いという、相互の『関係性』があること。

しかし、別れてしまった今、そのような関係性の維持と確認の必要はなくなった。

別れているのだから(好きではないのだから)、相手の気持ちを確認する必要がなくなった。

また、別れた後は確認する術もなく、「まだ私のこと好き?」などと好奇心で聞く者も少ないだろう。

その為、都合のよい独善的発言につながりやすい。

「相手の気持ちが不在」であるから、「それ間違っているよ、そんなこと思っていないよ」と否定されることがない。


こちら側のさじ加減で、自分の都合で相手の気持ちを想定してしまいがちになる。

付き合っていた頃は相手の気持ちを確認する必要があったが、別れてしまった今では、その必要がない。

「まだ私のことが好きだ」と思い込んでも、なんら問題ない。別れているのだから、確認しなくてもよいのだ。


***


「別れたけどまだ私のことが好きなんじゃないか」的思考のほとんどは、そうであると心地がよいからだろう。

が、実際のところ、ほとんどはそうではない(おそらく)。思い込みである。

さっさとすべて忘れ去って、元恋人など完全に無視して、次へと向かうのが得策である。

「なんだかんだ、忘れられないんだよね…」と言うならば、これはまた別の話であるが。

以上、モテないやつが恋愛を語って怒られる典型、@ryotaismでした。