先日読んだ本にこんな言葉が書いてあった。

『毎日感謝しなさい』

よく耳にする言葉ですよね。

ボクの母親も、事あるごとに言ってきます。

今まで、斯様な言葉はスルーしてきたのですが、なぜかふいに考えてしまう夜があった。

“一体、何に感謝しろと??”

感謝する『対象』がなければ、感謝できませんよね?

さらには、感謝する『理由』がなくては、感謝できませんよね?

ボクにはどちらもないよ。

感謝する対象も、理由も、ボクにはない。

どうすれば「感謝することができる」のか?

それを今回の主題としてみるわ!



この世の中は、『がんばっても許してくれる世の中』だ



マジメな話、

ボクみたいな卑屈な人間は、がんばる資格すらもないんじゃないかって、本気でそう思うときがある。

「がんばることに資格なんていらないよ」とキミはいってくれるけど、

ボクはついつい思うんだよ、問うてしまうんだよ。

「がんばってもいいのかな?」「がんばってもいいですか?」って。

「オレなんかが、がんばってもいいのかな?」という不安が自分の中にあって、「がんばってもいいですか?」と一言問わないと、なんか変な感じになっちゃうんだ。

「がんばっても何もできないのだし、下手にがんばったら怒られるんじゃないか?目立ったらダメなんじゃないか?」という不安がある。


周りを気にして、がんばることを躊躇する。

引け目がある。自信の無さ、不安が根本にある。

で、問う。「がんばってもいいのかな?がんばってもいいですか?」って。

そしたらね、だいたいの人はこう言うんだよ。

「いいよ、がんばってもいいんだよ」って。

ボクはそのとき、こう思う。

『ああ、ボクはがんばっているんじゃない、がんばらせてもらっているんだ』

おかしな言葉使いで申し訳ないのだけど、“がんばらせてもらってる”

実はね、

この世の中ってのは、実は、『がんばっても許してくれる世の中』なんだよ。


「いや、当たり前だろ。バカなの?キミ、バカなの?」

って、キミはいうけどさ、

ボクみたいに卑屈で、劣等感があって、世の中に引け目を感じていて、根性なしの、他人に怯えて生きている弱い人間の心理って、そういうとこあるんだよ。

『目立たずに、ひっそり隠れていなきゃいけない、がんばっちゃいけない、がんばったら迷惑をかける、怒られる、怖い』

そういった、めそめそした、恥ずかしい程に弱々しいハートであるから、がんばることに引け目を感じてしまう、他人を気にしてしまう。

でも、繰り返す。

この世の中ってのは、実は、『がんばっても許してくれる世の中』なんだよ。

だれの許可もいらない。

でも、“がんばる”ってことは、“目立つ”ってことだ。

そこで、「ボクみたいな奴が目立ったら怒られるんじゃないか?」という不安が生まれるわけだけど、

それは所謂、“自意識過剰”とよばれるものであって、

自分が思っているよりも、他人は自分のことなんて見ていないのが現実。

がんばっても別に誰も見ていない、世の中はそういうものであり、
仮に何か言ってくる人がいても、そんなものは少数であり、大多数はむしろ応援してくれる、そうであるからこそ、世の中は『がんばってもいい世の中』として存在している。

「がんばることを許してくれる世の中」なんだよ。



他人の目線を気にする臆病者がもつ個性



でもさ、いくら、「がんばってもいいんだよ」と言われても、

ハートの弱いボクみたいな奴は、やっぱり病的に他人に気をつかってしまって、「ボクみたいなのががんばってもいいのかな?」と不安に思ってしまう。

だから、がんばったとしても、申し訳なさそうにがんばってしまう。やっぱり引け目がある。

それでいい、とボクは思うようになった。

がんばるとき、がんばるときでさえ、謙遜しながら、申し訳なさそうにがんばってしまう。

“申し訳なさそうにがんばってしまう”、こういった性格は、『感謝』する心を生むんじゃないか?


『がんばっているんじゃない、ボクみたいなやつは、がんばらせてもらっているんだ』、と。

「感謝」なんてのは、しようと思ってできるもんじゃない。

自らの足りないところを肯定してくれたとき、人は無条件に感謝する。感謝ができる。

「俺みたいなクズでもがんばらせてもらえている」、そういう気持ちが生まれて、感謝する、感謝したくなる。


ところで。

ボクは、他人の目線や評価を気にするし、嫌われたくない。

そんな弱い奴は見ているだけでウザいし、「じゃあさっさと死ねよ」「そんな弱いハートで生きていけるわけねぇだろ虫けら」って話なんだけど、

ボクはね、そういうやつほど感謝ができる性格なんじゃないか?って。

たとえば、だれからも優しくされてこなかった人間は、ほんの少し他人に優しくされただけでも嬉しくて泣きたくなる。

これと同様に、

「がんばらせてもらっている」って、なんだか大げさに聞こえるけど、たったそれだけのことでも、ありがたくて、うれしくて、感謝してしまう。がんばることですら、何か申し訳ない気がしているから。

「他人の目線なんて気にするな」って彼奴らはいうけど、それによって失う個性がある。

他人に怯えて生きる人がもつ個性がある。

ボクはそのひとつに、「感謝」があるんじゃないかと思っている。


『申し訳なさそうにがんばってしまう性格』、そこには感謝できる資質がある。つまりは、感謝のできる人間だってことだ。



***


以上。

先輩、

先輩は、「おい、お前、また自己正当化しやがったな。救いようないやつだなお前は」って、鋭い言葉で心臓をひと突きしてくるけど、

先輩、忘れたんですか? 俺、先輩に教わったんですよ、これ。

ではまた。@ryotaismでした。