貯金くらいしか生きがいがない、そんな時期があってもいい
こんばんは。
ボクには夢も目標もない。欲している幸福もない。
「何が楽しくて生きているんだろう?」と思うこともある。
本当は、夢や目標がほしい。でもみつからない。
このまま生きてて、何があるんだろうか?何がおもしろいんだろうか?
「毎日がつまらない」――、その一言で集約される。
旅にでる気力もない。あらゆることに、病的に無気力なのかもしれない。
精神的に幼く、こじれたまま大人になった。
――さて、こういった事情はボクだけではないだろう。
「生きがい」をもって生きている人なんて、そもそも少ない。
「生きがい」などと発言している時点で中二病、口にすればするほど「生きづらい」。
されど、考えずにはいられない「生きがい」。
おお、、、迷える子羊、人間。
「生きがい」とはなんぞや?
そもそも「生きがい」とはどういうものなのか?
辞書検索してみたら、激アツなのがでてきたので引用。
人生の意味や価値など,人の生を鼓舞し,その人の生を根拠づけるものを広く指す。〈生きていく上でのはりあい〉といった消極的な生きがいから,〈人生いかに生くべきか〉といった根源的な問いへの〈解〉としてのより積極的な生きがいに至るまで,広がりがある。生きがいは,漠然とした生の実感としてほとんど当人に無意識に生きられていく場合と,自覚的に人生の営みに取り込まれる場合とがある。
難しいこと言うな~(笑)ちょっと検索しただけなんですけど。
これを曲解して、自分なりに解釈してみました。
- 「生命の持続」――死なずに生き続けるための「生きがい」(消極的)
- 「生命の価値」――ただ生きるだけじゃなく、価値をあたえてくれる「生きがい」(積極的)
消極的なのと積極的なの、ふたつある。
さらに、「生きがい」には次の状態がある。
- 無意識に感じている「生きがい」
- 意識的に考えている「生きがい」
今回のボクの件は、意識的に「生きがい」を考えているんだね。欲している。(無粋だね!うん!)
「『生きがい』が見つからない」などど模索するのは、「生きがい」を自覚したいからでしょう。
他方、「生きがい」などと言葉にはせず、日常の中に無意識におとしこまれている「生きがい」ってのがある。
ボクなりにまとめると、
- 生命の持続としての「生きがい」は、無意識なもの
- 生命の価値としての「生きがい」は、意識的なもの
例えば、、、
「うまいもの食いたいな~」とか、「生活していけるように仕事をがんばろー」とか、こういうのは、ほとんど無意識なもので、当たり前のもので、生命の持続としての「生きがい」、
他方、夢とか目標、「生きがいが欲しい!キラキラ」とか、そういうのは意識的に設けようとする積極的な「生きがい」。
こういうことだね。たぶん。ちがったらごめんね。謝っても許されない社会だったら余計にごめんね!
積極的な「生きがい」だけに縛られないこと
さて、今回のボクの件は、意識的に「生きがい」を考えている。
「生きがい」を積極的に求め、欲している。
でも、それが無い。みつからない。手元にない。
結果、悩んでいる。
哀れ!欲望丸出しで滑稽!
でも、あんまり批判するなよ。
中二的な幼い自問であっても、当人はマジで考えていて、マジで悩んでいるのだから。
そこを滑稽だとか、嘲笑するのは、ちょっと「悪趣味」だよ!
冗長になってきたから、結論にいく。
積極的に求める意識的「生きがい」がみつからない場合(夢や目標がみつからない場合)、一度、消極的でもいいから無意識に感じている「生きがい」まで視野を広げてみよう。
――今回、ボクは悩んだよ。いい年こいて。
最近のボクはどういう生態であるか?けっこう、真剣に考えてみた。
そしたら、確定していることが、ただひとつだけあった。
ひとまず、死にたくない。"生きていたい"、とりあえず。
これが今のボクにとって、唯一確定していることだ。
それ以外はあやふやで、自分が何をしたいのか、何も無い。
つまらない。人生がつまらない。
そんなとき、だれかが言った。
「うん、じゃあさ、ひとまず、その『確定していること』を大事にしてみたら?」
ひとまず確定していること、それは「死にたくないなぁ、とりあえず生きたいなぁ」という事。
つまりは、積極的な「生きがい」はみあたらないけど、生命の持続としての「生きがい」はボクにはある。
では、生きるためには何が必要か。
『お金』だ。
お金があれば、とりあえず死なない、ひとまず『生きる』ことはできる。
満たされないつまらない毎日の中で、「死にたくないなぁ、とりあえず生きたいなぁ」という事をお金は満たしてくれる。
まずはひとつ、消極的であっても、ひとつの「生きがい」を満たすことができる。
そして、ボクは次のように考えた。
「とりあえず、『貯金』だな。」
これでそこそこの満足が得られるんだよ、なんだかんだ。事実として。
悩みすぎてもアレだから、とりあえずコレでもいいんじゃないか。
そんな時期があってもいいんじゃないか。
「生きがい」なんてのは、ひとつだけじゃない。
貯金くらいしか生きがいがない、そんな時期があってもいい。と、ボクは思う。
これで、少しは視野が広がったんじゃないか?
いつまでも腰掛けてられない
そういう話でしたー。
・・・・・・とはいかない。これで完了しない。
"一時的"にそういう時期があってもいいんじゃないか、という話。
結局は、ボクみたいなタイプは、夢や目標といった、積極的な「生きがい」を自覚しないと、満足ができない。
いるでしょ?そういう人。てか、キミ、そういう人でしょ!!知らないけど!
「イタいヤツ」ってのは、どこまでイタい、いくつになっても「イタいヤツ」である。
貯金くらいしか生きがいがない、そんな時期があってもいいけど、いつまでもそこに腰をかけていられない。
やっぱり、熱く生きたいんだよな。
何かに夢中になりたいんだよな?
"完全燃焼"して死にたいんだよな?
「このままじゃ終われない」とか、「なんだか毎日がつまらない」とか、「自分の人生ってこんなに平凡なものなのかな?」とか、やっぱり考えちゃうんだよ。
そういうのをナニと呼ぶか、『中二病』と呼ぶ。
が、中二だとか意識高い系だとか揶揄されても、情熱とか目標とか、そういう言葉が好きでたまらないんだ。そういう人生を歩みたいなって、思ってるんだよ、ボクは。
別名、それを何と呼ぶか、『向上心』と呼んできたじゃないか。
納得して死ねるように、積極的な「生きがい」も、やはり必要なんだよ。
忘れちゃいけない。
最後に
ここまで述べたように、「生きがい」にもいろいろある。
狭い視野に縛られるのはよくない。
夢や目標、積極的に追求する私個人の意識的「生きがい」、確かにそれは私に必要な、私が生きる「生きがい」です。
一方で、生命維持、生活とか貯金とか仕事とか、消極的に思うかもしれないけど、こいつもやっぱり、私が生きる「生きがい」なんです。
どっちも大事な「生きがい」です。
いろいろあるって、そんな話でした。あんましひとつに縛られちゃいけない。
悩んで悩んで人は成長していくものだと、ボクはそう思う。「お前がいうな」って、すまん、悪かった。
じゃ。@ryotaismでした!
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