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『超思考』(北野武)をKindleで読みました。

いやあ、大変おもしろかった。

3時間ほどで読めるので、おすすめです。





『超思考』北野武


印象に残った箇所をいくつか。


  • 悪口を書かれたら、もっとワルぶっちゃう。ワルでもなんでもないけれど、相手が笑うしかないくらい破天荒なことを言ってしまえばいい。笑ったらこっちの勝ちだ。
  • 乞食って言葉は厳禁だと言っている放送局も、乞食のために何かしたことはないはずだ。むしろそうなってからの方が、乞食への社会の無関心化が進んだ気がする。
  • 「言わないこと」と「考えないこと」が同義になってしまった。
  • 死刑が極刑であるためには、ひとつの前提が必要だ。「人間がいちばん恐れるのは死であって、死は人生における最悪の出来事だ」という前提が。世の中の人がみんなそう思っていて、はじめて死刑が極刑として成立する。
  • 人は死ぬという事実に蓋をして、社会の表面から見えなくしてしまっているのが現代社会だ。
  • 若い者にはまだ負けちゃいないなんて、口が裂けても言わない。若い者には、負けるのだから、負ける相手とは勝負をしない。
  • 人生が苦しみに満ちたものだということを誰もが知っていた。年寄りも、若い者も、その覚悟がまったくできていないということが、現代の老人問題の本質なのだと思う。
  • 眠っている才能なんてものはない。才能はあるかないかのどっちかだ。自分が本当にやりたい仕事はなんだろうなんて、考えなきゃいけないってことは、やりたい仕事がないというだけのこと。探しているのは、自分が本当にやりたい仕事なんかじゃなくて、楽して稼げる仕事なのだ。そんなものがあるわけない。
  • 苦労をしなければ、仕事にやりがいなんて見つけられるわけがないのだ。仕事の本当の面白さとか、やりがいというものは、何年も辛抱して続けて、ようやく見つかるかどうかというものだろう。
  • 気が進まないくらいの方が、いろんなことがよく見える。どんな仕事にだって、誰も気づかない盲点というものがあるのだが、そういうものに気づくのは、好きでたまらない人間よりも、むしろちょっと引いたところから眺めている部外者だ。
  • 昔の常識で言えば、そもそも年寄りには将来なんてなかった。俺が若い頃の年寄りは、その日の食い物にも困るっていう経験をしているから、飢え死にしないだけでも幸せだった。
  • 派遣は悲惨だって言うけれど、よく考えてみれば、昔の職人はみんな派遣の日雇い労働者だった。
  • 仕事がなかったら喰えないと言うけれど、食い物がなくて食えないというのとはわけが違う。
  • 薄利多売のしわ寄せは、最終的には働く人間が背負うことになるのだ。貧乏人が貧乏人の首を絞め合っているだけの話なのに、それを見せ物にして得意になってる。背後にいる金持ちは、素知らぬふりで笑っている。いつの間に、こんな悪趣味な世の中になったのか。
  • 誰かのコピーでは出世なんかできないのがこの世界だ。
  • 世の中が貧乏で飯を食うにも苦労した時代の大人たちは、子供に夢なんか見ていないで地味でいいからとにかく真面目に働くことを教えた。
  • 自分の頭で考えるのではなく、他人の頭で考えようとする。そんなことできっこないのに、他人の目にどう映るかを考えてモノを作ろうとする。
  • 自分の好きなようにやる。他人に迎合はしない。それで売れれば嬉しいし、売れなければ消えるだけだ。格好つけるわけじゃないが、ずっとそう思ってやってきた。それは映画を撮るようになってからも変わっていない。俺の映画が面白いなら見てくれればいいし、面白くないなら見ないでいい。まあ、ある種の痩せ我慢だ。
  • インターネットという箱の中に、世界がつまっていると思い込んでいるからだ。そして一所懸命に、その箱の中に頭を突っ込んで世界を理解したような気になっている。箱に頭を突っ込んで生きているだけに過ぎないのに。
  • タチの悪い子供が、ただの慰みにホームレスを暴行して殺してしまったなんてニュースをよく聞くようになったのも、彼らを乞食と呼んではいけなくなってからのような気がする。


感想


おもしろかったよ、これほんとに。

まずね、文体が"率直"。かといって、偉そうな感じもしない。

政治・社会に言及しているのだけど、難しいと思うところはなく、最後まで読みやすい。

話の軸としては、北野武が生きてきた時代と、今の時代との比較。いや、「時代」というより「生活」の違い。

老人問題に関して、“昔の常識で言えば、そもそも年寄りには将来なんてなかった”とか、派遣問題や貧乏、その他様々な問題に対しても、「苦労や苦しみなんて人生の当たり前」というふうに、笑い飛ばす。

“仕事がなかったら喰えないと言うけれど、食い物がなくて食えないというのとはわけが違う。”

北野武が生きてきた時代、それは『全体的にタフである』ということ。

死や仕事、お金――人生に対して、大変とか苦しいとか、そんなことは日常であった。“問題”というほど、取り立てて騒ぐほどのことか、と。

このあたりの、『時代の違い』というのは参考になる。

ちなみに、最も心に残ったのは次の文だった。

鎖につながれているように見えるのだけれど、本人たちはそう思っていない。
むしろそこから切り離されたら、不安でいてもたってもいられなくなるらしい。インターネットという箱の中に、世界がつまっていると思い込んでいるからだ。そして一所懸命に、その箱の中に頭を突っ込んで世界を理解したような気になっている。箱に頭を突っ込んで生きているだけに過ぎないのに。
つまり、ある種の家畜だ。


この、“箱に頭を突っ込んでいる”という表現は実にうまいと思った。

ネットの世界は、広大で無限だ。そこにはコミュニケーションさえも存在する。

なんでもかんでも、そこに詰まっているように思ってしまう。

が、結局は、宇宙の"一部"でしかない。ネットよりも、その外側の"世界"のほうが広いにきまっている。

“今の若者は自分に縁のない世界を、この世に存在しないものとして意識から閉め出しにかかっているのだろうと思う。

外側の世界に目を向けない、いや、そもそも、『外側の世界などないものだ』と排除する。

身も心もネットに浸かってしまうのは、その外側(それ以外)が、最初から自分の視野に"無い"からだ。“この世にはないもの”と思っている。

んー。なるほどなぁと。思わず、自分を省りみてしまった。

北野武の作品といえば、映画のイメージが強かったけれども、これからは著書も読んでみようと思いました。たいへんおもしろかった。

以上、@ryotaismでした。