「時間を金で買う」という視野をもとう!
“時間を金で買う”なぞ云う言葉がある。
最近、ボクはこれを実践している。
なんだか贅沢なお話のようだけど、ボクは過去、えらく貧乏だった時期があった。
今でこそ普通に収入があるからそういったこともできるんだけど、そのときの記憶は完全にトラウマであり、あの頃に戻りたくないと心底思うし、必死こいて節約や貯金にいそしんでいる。
反面、“時間を金で買う”といったことも行っている。
どちらも必要だが、どちらかが欠ける
だいたい、次のどっちかなんだよな。
- お金はあるけど時間がない
- 時間はあるけどお金がない
だいだい、どっちかだよね。
ボクはね、今、“お金はあるけど時間がない”という状況だ。
『は? ナニ贅沢言ってんだよ。てめぇなんか、人としてクズの分際だろうが』って、まぁ待て。人並み程度の収入があるというだけの話で、今までボクは随分貧乏だったんだ。多少、斯様な言い分をしたっていいだろう。それに、この先、全く逆になる可能性は大いにあるんだ。ボクだってこんな発言をしていながら、違和感があるんだよ。
……でもさ、あれじゃないか。
「お金」も「時間」も、両方必要、両方大事だとは思わないか?
どちらか片方――どちらかに偏りすぎていると、不満足に帰結しちゃうんだよ。片方が欠けているために、何かが足りない感じ、満たされないんだよな。具体的には、「時間があるのに、お金がないからやりたいことができない」とか、 「お金はあるのに、時間がないから使い道がない」とか。
『そういうのを、“ないものねだり”のクズの分際っていうんだよバカが』って云うかもしれないけど、ボクが云いたいのは、両方のバランスが大事じゃないか、と。
「お金」と「時間」のバランス
「お金」と「時間」、どちらかが極端にあってもいけないし、かといって、どちらも満たそうたってそうはいかない。
うまく両方のバランスをとって、どちらもそれなりに満たせたらいいんじゃないか?って。
たとえば、“お金はあるけど時間がない”という状況であるなら、時間をお金で買ってみる。
逆に、“時間はあるけどお金がない”ならば、その時間をお金を稼ぐことに費やしてみる。
そうすると、片方は削れて減ってしまうけど、もう片方は増えるよね。
そして、それぞれを同じ高さ、同じ量に調整しみる。
「お金」と「時間」、どちらかに偏らないように心がける。
ボクなんて、独身のボンクラだ。物欲もまるきし無い。
使い道がないんだから、節約せずともお金が貯まる。
かたや、“時間が充分にある”とは言い難い。
深夜に帰宅して、翌日は早朝で、休日は溜まった疲れから昼すぎまで眠りこけている。
進撃のニートであった頃と比べると、「やっぱ時間がないなぁ」などと思うんだよ。あつかましい話だけど。
でもそこで、「まぁ仕方ねぇな」と開き直るのはいかがだ?
そんなとき、この言葉がおりてくる。
“時間を金で買う”。
うまくお金を使って、時間を短縮する、時間をつくりだす。
例えばさ、こんなふうに。
「映画みたいなー。レイトショーなら安いし、ちょっと待つか」
じゃなくて、“時間を金で買う”つもりで、1800円払ってすぐその場で観る、とか。
「サランラップなくなった。スーパーなら安いし、スーパーまで買いに行こう」
じゃなくて、近くのコンビニで200円のサランラップを即座に買う、とかさ。
バスの待ち時間がけっこうある場合、ワンメーターで行ける距離ならタクシーを利用する、とかさ。
“時間を金で買う”っていったって、そんな大きな話じゃない。
こういう、『身近なこと』をボクは言っている。
何万も使って“時間を金で買う”わけじゃあない。
わずかな金額で、時間をつくりだせるなら、時間を金で買ってみてもいいんじゃないか。
お金の節約は大事だ。そりゃあ大事だ。無駄遣いはよくない。金がなきゃ、時に死ぬ。
でも、時間も同じくらいか、もしくはそれ以上に大事だ。人生を大切にしたいと思うならば、「時間をどのように過ごすか」をボクらは考えるだろう。
「お金」と同じくらい「時間」も大事
“時は金なり”、なんてことを先人は云う。時間は取り返せない。やっぱり有限で、貴重なシロモノなんだよな、時間は。いつか必ず死ぬ定め、すなはち人生とは、終わりがやってくる『限られた時間』のことに他ならない。
“時間を金で買う”、これはお金の無駄遣いではない。過剰な贅沢でもない。
「お金を節約する」のではなくて「時間を節約する」という、堅実なる『節約の部類』なのだ。
お金は大事だから、ついついお金を第一優先にしてしまいがちだ(まして貧乏な過去があったら尚の事そうだろう)。が、それと同じくらい、時間も大切にしてみてはどうか?
現状、もし両者のバランスにおいて、「お金」のほうがちょっぴり多いなら、少しだけお金を投資してみても、大きな損にはならないだろう。同じ量/同じ高さになるよう、バランスよく両者の釣り合いをとる。配分する。調整する。
時間もお金も、どちらも必要であるし、欲しているのだから、「どちらかが物足りない」という不満足の度合いを減らすことに努めてみる。
『“時間を金で買う”なぞ、てめぇには100年早ぇわ』って話だけど、現状における「お金」と「時間」のバランスがどうであるかを冷静にみつめ、その時時の状況にあわせて微調整することは、お金の使い方と時間の過ごし方と、誠実に向き合っているようにボクには感ぜられる。
時には、“時間を金で買う”。
斯様なる贅沢の所業は、不遜な態度のように思われて、ついためらってしまうものであるが、少しでも有意義な時間をつくりだせるならば、それは歴とした、真っ当な「お金の使い方」であると思う。
お金を優先しすぎて時間を見失うことは、どうしたってある。
が、“時間をお金で買う”という視野と行動は、お金だけでは満たせない、物足りなかった部分を埋めることを時に可能せしめるだろう。
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以上、ちょっと思ったことを書いてみた。
節約や貯金ばかりに執着してしまって、時間を蔑ろにしている自分を省みた。
にしても、数年前のボクには考えられなかった文章を綴ってしまった。なんだこれは?たいしてお金もないくせに。どういうつもりだ?阿呆だな私は。
それではまた。@ryotaism
