『楽しんでもらう』ということは『楽をしてもらう』ということ。
休み。今日は5時間、Youtubeを見ていました。
それ以外、特別なことはしていません。
何時間もYoutubeを見続けることがあります。
「こんなんじゃいけないなぁー」と思います。
でも、ついつい見てしまうんですよね。
【関連動画】から、チェーンで見続けてしまう。
音楽のMVだけで、今日は40本は見たんじゃないかと思う。
昼の3時から見始めて、気がついたら21時。
「うわ、もうこんな時間!?」と、時間を忘れて見続けてしまう。
Youtubeで手軽に現実逃避する私
「ストレス発散」の方法って、人によっていろいろあると思います。
おいしい料理を食べるとか、音楽を聴くとか、スポーツに汗を流す、とか。いろいろあると思います。
私はストレスが溜まっていたり、嫌なことがあったときは、「映像」に逃げるタイプです。
テレビや映画を見たり、Youtubeを見るのもそうです。
ぼーっと映像をみていると、「現実逃避」ができるんですよね。
嫌なこととか、忘れることができる。
といっても、一時的に忘れられるだけで、見終わった後、やはり現実が待っているわけですが。
にしても、「映像」というのは便利なものでして。
こちらは何もしなくても、むこうから情報を与えてくれる。こちらは受け身の姿勢で、特別なにもしなくていい。
バラエティ番組――笑いたいときに、“笑わせてくれる”
感動映画――泣きたいときに、“泣かせてくれる”
こちらが何も努力しなくても、希望をかなえてくれる。満足を得ることができる。
が、そのぶん、制作側は努力しているんですね。
もしかして、こちら側が楽して楽しめる作品であればあるほど、それを作っているほうは努力しているんじゃないか。
寝っ転がりながら、Youtubeでのうのうと手軽に現実逃避している一方で、動画をのせている側は、何時間もかけて動画をつくっているのだ。
いかに楽をして楽しめるか、楽しませるか
観客や受け手側に、「なんでこの素晴らしさがわかんねぇんだ!」と言う作り手は、だいたいの受け手からは選ばれない。好まれない。
というのも、受け手側の大多数は、『いかに自分が楽をして楽しめるか』で好き嫌いを判断する。
自分が苦労せずに楽しめる作品のほうが、そりゃいいに決まってますから。「努力しないと楽しめないもの」なんて、めんどくせぇって話です、普通。
Youtubeの【関連動画】という仕組みもそうなんです。
あれは、視聴者が満足のいく動画を探す手間を省いてくれる。
Youtubeをノンストップで見続けてしまうのは、“楽して楽しめる”仕組みがあるからです。
でも、その仕組を考えた人および作った人は、めちゃめちゃ努力したんじゃないかと思う。
つまり、『相手に楽をしてもらうために、自分がめちゃめちゃ努力している』、ということ。
そのへんの“ルール”ですよね、基本原則。態度といってもいい。
「それ」を楽しんでもらうための努力を受け手に求めないこと。苦労をさせないこと。
逆に、自分が楽をして作ったものは、「それ」の良さを理解してもらうために、受け手側に努力や苦労を要する。
「この良さをわかるために、自分が努力しないといけない!」なんて、よっぽどの物好きくらいで、少数派だと思う。
“相手に楽をしてもらうために自分が努力をする”――
そんなこと、口でいうのは簡単だけど、
ついつい、自分が努力しているのだから、相手にも同じだけの努力を求めてしまう。
こうなってしまってはいけないんじゃないかと思う。そして、“知らず知らずのうちに、こうなってしまっている”ことが多々ある。
そうなると、受け手側に選んでもらえない。選ばれにくい。
(「エヴァンゲリオン」は難解なアニメで、見る側に思考を求めるけれど、それを作った側は、“難解だけど面白い”世界をつくるのに、見る側の何十倍も努力をしたのだ思う。)
相手に『楽しんでもらう』ということは、『楽をしてもらう』ということである。そして、相手に『楽をしてもらう』のと同じぶんだけ、こちらは『楽をしてはいけない』。
――というルール、基本原則。態度。
忘れずにいたいなぁと思います。すぐに忘れる私ですが…。
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以上、今日Youtubeを5時間みてて思ったことです。
てか、そうやって楽ばかりして楽しんでいる私が、このようなことを言ってもなんの説得力もないですかね?ハハ。泣きたい。
それではまた。@ryotaismでした。
