『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』:書評と感想

『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』(小林弘人)をKindle版で読みました。
おもしろかったです。3日で読み終えられる文量。
個人的に印象に残った文をまとめておきます。
『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』:読書メモ
- 私たちは商品だけではなく、そのつくり手の物語を買っている。
- ヒューマン・ファーストの時代、テクノロジーを用いて販売するものは、もしかしたら“体験”なのかもしれない。(中略)正直な話、商品はどこでも買えるものばかりだから
- 自らの資源を「シェア可能(シェアラブル)」にすることで、それまで眠っていた資源の流動化が促される。そこで起こっているのは「資源の再分配」だ。それは、これまでみえなかった資源をデジタル上で可視化することから始まる。それによって多くの人々が、その資源とそれを所有しているあなたに注目するだろう。そしてマッチングが起きる。その資源をいま必要としている、あるいはいまはそれが不要でシェアしてもいいと考える人たち、その両者が出会 うのだ。
- 共有の意味は一つのパイをめぐる配分だから、誰かとシェアはできない。その一切れを渡してしまえば、どこかで得をする人間がいて、損をする自分もいる。しかし枯渇を免れた資源は、それをさらに流動化させることで新たな益を生み出す。
- シェアリング・エコノミーではインターネットを利用して参加者がさまざまな資源を共有し、新しいサービスを“共創”していく。旧来の所有という概念を脱し、自らがもつ資源の価値へとアクセスを促すのだ。そして、その資源を適正に再分配することで新しい換金化手法を得る。ある者にとってはこれ以上の価値が見出しにくい余剰資源でも、他者からすれば得難い価値となるかもしれない。
- 「コラボレーティブ・ライフスタイル」という概念を示している。それは多様化したライフスタイルを軸として、同じ関心をもったり同じ地域に 属する人たちがバーチャルなコミュニティを通じ、モノ、コトの共有をすると同時にコミュニケーションを取り合い、一つの共同体を形成するというものだ。
- オープン化の進むウェブ社会では、周囲の人の力を“素敵に借りる”ことがポイントなの だ。周囲の力を借りるときは、自分の専門が何だったのかという立ち位置、つまり核をしっかりもっておいたほうがいい。専門的な領域は今後ますます融和していくが、力をお互いに貸し借りしていく社会では「私のもっている力はこれです」と明示できるほうが評価されるからである。
- マッシュアップとは、AとBを組み合わせてCにしてしまおうという考え方で、ウェブカルチャーを支えるアイデアの基本になっている。
- 著作物を厳重に管理するのではなく、その管理を弾力的に運用することで、著作物の流動性を高め、注目を先に集めるのだ。
- 今後は自らが出版社や放送局のようにコンテンツを配信し、換金化手法につなげていく時代なのである。
- 重要なのは不完全さを見抜くことだ。ネットをハックするのではなく、リアルをハックし、その不完全さを埋めることが次代のチャンス になる。そのためにはリアル社会の課題を解決するために、テクノロジーとネットワークを駆使すべきだ。リアルを活かす。それが人間中心主義における新しいデジタル活用法である。
- 自分のリソースをオープンにしたら、次はそれをシェアしていく。そのときには欲得を考えず、自分の興味あることや目標を踏まえてただオープンにすればいい。役に立つかどうかを判断するのは自分ではないからだ。
その他、印象に残った箇所
- もともとインターネット空間はリアル社会の複製から始まったが、これからはリアル社会がウェブのなかで培われた思考様式や心理状態を模倣していくだろう。
- ウェブ2・0の時代になると、掲示板などのように“みる側の人間”が投稿やクリックなどで積極的に関わることによって、コンテンツをつくりあげるCGM(消費者生成メディア)が隆盛した。
- フェイスブックの広告では、企業側が対象者に訴求するとき、彼らからどれだけ共感を引き出せるかが重要になる。決まった枠に企業側が主張したいことを掲げた看板を出稿するのではなく、対象とすべきユーザーがつい「いいね!」を押して友だちと共有したくなることが大事なのだ。
- 「あまちゃん」と「半沢直樹」はネットのクチコミという「バイラル」によって爆発的に広がり、大ヒットへと向かった。
- いまや情報を「文脈」として捉え、その門番として人間の力に頼るという考え方は、フェイスブック以外にも広がっている。その一つがウェブにおける「キュレーション」という潮流だ。
- キュレーターやプロの編集者という役割がこれからますます重要になる、と私は考えている。 テクノロジーが発達すればするほど、コンテンツは断片化されていく。それぞれの情報に意味やストーリーという文脈をもたせなければ、ユーザーに記憶されることなくそのコンテンツは流れ去り、消えてしまうだろう。
- ソーシャルグラフとは友人関係のつながりを記述するものだったが、そこにコトやモノなどへの興味・関心度合を追加したものが、インタレストグラフである。
- インターネット上の情報は玉石混淆であり、しかもノイズのほうが圧倒的に多い。そのなかで意味をもつ信号を拾うためには、それなりにやるべきことがある。将来的にはテクノロジーがそれを解決してくれるのかもしれないが、あらゆる情報がフラットに並ぶいま、その取捨選択は人間と人間がつながった時代のなかで、最終的に各々のユーザーに委ねられたともいえるのだ。(“ヒューマンファースト”)
- そのサービスの参加者たちを何が保証しているのか。簡単にいえば、それはリアル社会同様、「信用度」である。現在のウェブは人としての評価や評判が次々に可視化される。そのなかで、「自衛のためにも悪い行動はできない」ということが原理として働くのだ。
- 評価の高い提供者には評価の利用者がマッチされるように、共有型経済は、評判資本主義といってもいいだろう。
- シェアラブルな世界では、参加者が「何者か」が問われる。それは「実名であれ」ということではない。提供する側にも、される側にも、継続的にその信用が担保されているかどうかが重要なのだ。優れたサービスはファンを生み、コミュニティをつくる。そこでは生産者も、消費者も、貢献度や愛着度合で計測されるのだ。
- 事業を行なっているときに突然テクノロジーが陳腐化したり、全体のトレンドが変わってきたときは、急いでそのピボットを行なわなくてはならない。ピボットすると、「コバヤシくん、最初の事業計画とまったく違うじゃないか」と問われることもあるが、 移り変わりの速い世界では、これが当たり前なのだ。
- 考えつづけてアイデアをバージョン2・0にアップデートする。そして、それを公開して初めて気がつく部分をまた最初からやり直す。ウェブサービスではこれが当たり前だ。
書評、感想
まず、“3Dなんちゃら”の記述がすごく多い…。
革新的技術であることはよくわかったのですが…ちょっと革新的すぎて、勉強不足の自分にはついていけなかった。使いこなせる気がしない(汗)
が、それ以外のところは、“一般”である私にも、大変参考になりました。
“オープン”、“シェア”という概念――。ウェブというのは、開かれている場所であって、“所有”する場所ではないのだと思う。
インターネットがここまで発展したのは、無料という要素が大きい。ツイッターにしたってフェイスブックにしたって、参加するのに料金がかからない。Wikipediaも青空文庫も、Youtubeをみるのも無料。(※厳密には、裏でお金が動いているのだから、無料ではないのだろうけど)
そんな中、閉鎖的に情報を隠し持っても、だれも見向きしないのかもしれない。所有物・所有する情報をどこまでフリーに、開放的にできるか。「料金とりまっせ!」じゃ、なかなかうまくいかない。
オープンな流れを逆手に取って、有料メルマガやらサロンを形成して、囲う動きもあるんだろうけど、そのコミュニティ内で行われているのは、やはりシェアとオープン。慈善的な提供や、共創という要素が、少なからずあるんじゃないか。
情報を提供し対価を受け取るだけの一辺倒なやり取りで終始するのではなく、所有物が再分配されていくような、エコロジカルな生態系がウェブ上で築かれていく。“オープン”と“シェア”。
“ヒューマンファースト”の視点――ウェブで相手にするのはモノでもお金でもない、“対ヒト”、といった意味で『ウェブとはすなわち現実世界の未来図』といえるのかもしれない。
以上、@ryotaismでした。
