『人の悪口を言わない』、ということ。

最近、人の悪口、言ったことありますか?

ついつい言っちゃうもんだろう、とは思う。

でもやっぱね、人の悪口を言うことは、「あかんなぁ」と思うんです。

なぜか? なぜ人の悪口を言ってはダメなのか?

自分の考えを書いてみる。いつもどおり無視してほしい。


なぜ人の悪口を言ってしまうのか?


そもそも、なぜ人の悪口を言ってしまうのか?

まず、「人の悪口を言うこと」って、ものすごく簡単なことだ。

悪口を言ってりゃいいんだから。そりゃあ簡単だ。だれでもできる。

さらには、“優越感”みたいなものがそこにはあって。

「人の悪口を言う」ことは、「その人が自分よりもダメである」と暗に言っている。


例えば、自分よりも仕事ができない人がいたら、安心するものだ。それを決定的にするために、悪口を言うんですね。「あいつは仕事が遅い」とか。それって、イコール、「あいつよりも俺のほうが仕事が早い」と言ってるようなもので。“優越感”とか“安心感”とか、そういうものを得るために、悪口を言ってしまう。

「あいつのせいで、こっちは迷惑がかかってるんだ!」といったケースもある。結果、その人の悪口を言ってしまう。それにしたって、「あいつが間違っている。私は間違っていない」という自分の正当性を主張しているのであって、“安心感”の部類にはいるかと思う。

このように、悪口のだいたいは、『自分のために』言っている。『自分のために』、悪口を言う。


悪口は“反省ができなくなる”



で、悪口を言うことの何がいけないんだ?って話なんですけど、

ボクは極力、人の悪口を言わないようにしたくて。

「いい格好したい」という気持ちも、そこにはもちろんあるのだけど、ただでさえ怠け者がボクが、さらに「人の悪口を言う」とか、そこまで落ちぶれてしまうと、二度と真っ当な生き方ができなくなるんじゃないかという恐怖がある。だから、極力言わないようにする。びびってるんですね、「これ以上ダメ人間になったらマジでヤバイ」って。

あと、人の悪口を言うクセがついてしまうと、自分の非を認めることができなくなるんじゃないか。自分の失敗を、すぐに他人のせいにしてしまうんじゃないか?

仕事ができないのは、あきらかに自分のせいであるのに、それを他人のせいにしていまう。すると、「自分が仕事ができない」ということに気づけない。つまり、自己反省ができないのであって、いつまでも平行線をたどる。成長がそこでストップしてしまうような気がする。


悪口は“人を活かせない、人がついてこない”


他にも理由はある。

人の悪口を言うクセがつくと、人の良いところよりも、悪いところばかりに目がいってしまう。

たとえば仮に(まぁ絶対にないのだけれど)、自分が“人を動かす立場”に立ったとき、その部下の良いところを活かすようにしないといけない(とボクは思っている)。

ダメなところばかりに気が取られて、その人の長所を見抜けない。すると、“人の動かし方”がさっぱりわからなくなる。適材適所の判断ができなくなる。

また、「人の悪口を言う」よりも、「人の良い部分を見つけて褒める」ほうが、その人はぐんぐん育つ。“叱る”はその人のためになることがあるが、“悪口を言う”は、『自分のため』であるから。一体、そのような悪口によって、誰が育つであろう。

そもそも、「人の悪口ばかり言ってる人」に、誰がついてきてくれるだろうか。少なくとも、ボクはついていきたいとは思わない。「自分のことばっか考えてるなぁ」と思ってしまう。


“悪口って面白いか?”――価値観の話



これは個人的な価値観なのだけど、たまにいるじゃないですか?

人の悪口を言って、「ガハハ!」と笑うこと。周囲も含めて。酒の席とかでたまにある。

“毒舌ジョーク”なるものがあるけども、それはかなりの高等なテクニックとセンスが必要であると思う。ゆえに、少しでも間違えると、これはマジで笑えない。マジでつまらない。例えるなら、“シモネタでスベる”ようなものであり、惨劇である。そのような事態に自分はできれば出会いたくない。「悪口を言ってスベる」とか、想像しただけで寒気がする。おそろしい。

ボクに「笑いのセンス」がないだけなのかもしれないけど、「人の悪口」を、そもそも面白いと思わない。笑いのポイントがいまいちつかめず、「人の悪口で『笑い』をとる」という、その手法が自分にはわからない。「どうやったら『人の悪口』で笑いがとれるのか?」、自分にはわからない。

“シモネタが苦手な女子”っているじゃないですか。それに近い感覚で、ちょっとひいてしまう。(少し真面目すぎるのかもしれませんが…)


最後に――"理想にすぎない"、ということ


と、ここまで書いたが、じゃあ「人の悪口を言うこと」がダメかといえば、ついつい言ってしまうのは仕方がないと思っていて、悪口を言わない完璧な人間などどこにいるだろうか。厳しく断罪すれば、それはそのまま自分に返ってくる。「てめぇだって言ってるだろ」、と。

自分では気づいていないだけで、「人の悪口を言っている」ときがある。これは絶対にある。

だから、得意気に「人の悪口ってサイテーだよね」なんて、大声で言ってはいけないだろうと思う。自分だって、完璧ではないのだ。

この文章も、「人の悪口を言っている人の『悪口』を言っている」ようにとらえられなくもない。

ただし、完璧ではなくても理想はもつべきであって、そして、語るべきは「悪口」ではなく「理想」であるとべきだと、ボクはそのように思うのです。

『人の悪口を言わないようにしよう』というのが自惚れであったとしても、キレイ事にすぎないのだとしても、理想を語るほうがボクにとっては“おもしろい”。そのほうがおもしろい。ボクの個人的な価値観ですが。

以上、@ryotaismでした。(書き終えて読み返してみたのだけど、すごく恥ずかしくて死にたい。まぁいいか)

関連記事:仕事ができない人をネタにして笑っている人の笑いのセンス。