殻を破る

『自分の殻を破る』

よく聞くけれど、はたしてこれはどういう意味だろうか?

「しょーもない言葉だな」と思う。「うるせぇな」と思う。

自分はそういう冷めた人間だ。

「むなしい」と「つまらない」が、感情を牛耳っていて、あらゆることに興味がない。前向きな言葉は、うるさくて、うっとうしい。きらびやかな言葉が世間を飾っているのをみると、なにか、沸々と憎悪めいたものがこみ上げてくる。殺伐とした、どす黒い感情と、わけのわからない復讐心が湧いてくる。頭を掻きむしる。私はリストカットもしないし、自殺願望もない。が、それに近い、破滅衝動にかられるときがある。

そのような者だからか、『自分の殻を破る』などと聞いても、なんとも思わない。無視をする。また、たとえば未来、政治や経済、そんなもの、「どうでもいい」と思うときがある。

いくらかドン引きした人もいるかもしれないが、たしかに私にはそういった冷めた側面がある。「健全ではないな」と、自分でも思うことがある。が、所詮はそんなもの、「心理学的にみるならば~」などという言葉で片づけられてしまうものでしかない。たいしたサンプルにもならない、巷にありふれたライフスタイルである。

そんな私であるが、不思議と、言いたくなることがある。言わなきゃいけない瞬間がある。

“自分の殻を破りたい”


夜中、孤独と仲良く過ごした夜中、自分に問うてみる。

「孤独と仲良くなって、凝り固まった自分の価値観の中だけで生きて、そんなんじゃいつまでたっても、私は私自身を壊すことができないんじゃないか?」


『自分を壊す』ということ


自分自身を壊してしまいたいと思うときはないだろうか?

言い換えれば、『自分を変えたい、変えてしまいたい』ということ。

築き上げてきたものを一度、白紙にして、つまりは“壊してしまって”、新たな自分を創りあげたいという気持ち。なぜなら、今の自分が気に喰わないからだ。今の自分に、自分自身、納得がいってない。だから、一度自分を壊して、新たな自分をつくりたい。

「今の自分が嫌いなんです。」

――と、こんなことをいえば、決まって彼らはこう言う。

「嫌いな自分を受け入れることも大事。今の自分自身を受け入れよう」、と。

うんざりだ。「なんの処方にもならねぇよ」、と思う。おもしろくもなんともない。

『嫌いな自分を受け入れる』といった処置は、たしかに正しい。というのも、たとえ自分を壊して生まれ変わったとしても、また自分の中の嫌いな側面はきっとでてくるからだ。自分の嫌いな部分と、永遠にいたちごっこをすることになる。

しかし、しかしだ。私は、私を変えることができる。

たとえば、「人とうまく喋れない自分」、「お金のない今の自分」、「平凡な自分」、これらは変えることができる。経験を積めば、変えていくことができる。

『自分の力で変えられるならば、そんな自分を受け入れることはするな』と、私はそう思う。

というのも、嫌いな自分を受け入れることは、“生きやすく”するための上手い考え方であると思うが、『変えられるはずなのに変えようとしない』といった弊害も生むからだ。

簡単にいえば、「自分を変えることができるならば、変えたほうがいいんじゃないの?」ということである。

が、こんなこと、口で言うのは簡単である。実際は、自分の積み上げてきたもの、守ってきたもの、つくあげてきた自分や価値観を、“壊す”気持ちでのぞまなければならない。したがって、ある種の痛みをともない、また、恐怖に挑む勇気を必要とする。

簡単にいえば、「今までやりたくないと思ってたことをやる」「恥ずかしいと思っていたことをやる」といったことである。もはやそれはほとんど、“自分を壊す”という作業である。


『自分の殻を破る』とは、具体的にどういうことか?



「今までやりたくないと思ってたことをやる」「恥ずかしいと思っていたことをやる」――これらは一例である。「大切なものを捨てる」とか「人間関係を切る」とか、そういったこともあるだろう。

とにかく、『今までやったことがないこと』『避けてきたこと』『守ってきたものを捨てること』…こういったことやる。やってみる。

特に、『恥ずかしいと思うことをやる』、これはかなり効果的ではないかと思う。『恥ずかしい』という感情は、未知を正確に示す方位磁針である。

やったことがないから、「恥ずかしい」のである。避けてきたから、「恥ずかしい」のである。したがって、そこにはかなりの高確率で未体験が待っている。自分の殻の外側の世界が待ちうけている。

『自分の殻を破る』には、痛みをともなう。勇気が必要とされる。こういったことの積み重ねが、『自分の殻を破る』ことにつながるんではないかと思う。

では、その効果はいつ、どのようにしてわかるのだろうか?

ひとついえることは、『自分の殻はすぐには破れない』、ということ。『自分の殻を破る』とは、金槌で一突き、ポンッと割ることではない。
それはゆっくりと、溶かしていく作業であると思う。

一朝一夕に、即座にできることではない。時間をかけて、少しずつ、自分の殻を溶かしていくのだ。すぐには自分の殻を破ることはできない。気づいたら、いつの間にか“自分の殻が破れていた”というくらい、ゆっくりとした速度で殻は破れていく。

“長い時間がかかる”、そう言われると、気が滅入る。なんだか、やる気がなくなる。が、こればかりは仕方がない。今の自分だって、長い時間をかけてつくりあげてきたものだろう。同様に、新たな自分をつくりあげるには、時間を要するのである。


『自分を壊す』と、すぐに結果があらわれる



“長い時間がかかる”――これを言われると、身も蓋もない連中がいる。「すぐに変わりたい」「すぐに嫌いな自分を変えたい」と思っている連中である(私自身がそうである)。

彼らが欲するのは、『即効性』である。「つまらない自分、嫌いな自分を、一刻も早く変えてしまいたい」のである。

なんとも我儘な話であるが、、、では、すぐに行えること、すぐに効果がでるものは何か?ひとつだけある。

『自分の殻はすぐには破れない』、しかし、『自分を壊すこと』はすぐにでもできる。そして、その結果もまた、『痛み』という形ですぐに現れる。

たとえば、先ほども述べたが、「恥ずかしいから今まで避けていたこと」、これをやってみる。無論、痛みをともなうだろう。傷つくだろう。結果、“自分が壊れる”。自分が今まで守ってきたものや温めてきたものが崩れていく。

思い出すだけで、赤面してしまう、死んでしまいたくなる。そういった経験であればあるほどいい。痛みが大きければ大きいほど、自分が“避けてきた”証であり、初めての体験であることを裏付ける。

『自分を壊す』ようなことを行うと、わかりやすく、すぐに、結果がでる――『痛み』という結果が。
そしてその『痛み』こそが、自分の殻を破り、新たな自分への生まれ変わりへとつながっていく(但し、前述したように、そこに至るまでには時間がかかる)。

自分自身を変えたくて、即効性を求めてうずうずしているならば、まずは、自分を壊してみることがいいんじゃないかと思う。すぐにその結果を感じることができるだろう。


★★★

さて、今回もまた、思いつくがままに書きなぐってみました。たいした推敲もせず、直感的な文です。新しいパソコンを買って一発目のブログ更新なのですが、まったくもって幼稚な文章、ハイテク機器も泣いておりますね。まぁいいでしょう。

以上、@ryotaismでした。