『浮気したアンタが悪いんでしょ!』と彼女が言うとき、男は考察する。
想像してほしい。
浮気をしてしまった彼に、彼女はこう言った。
『浮気したアンタが悪いんでしょ!』
このような場面、想像してほしい。
――と、その前に。
まず、“確定していること”を明示しておこう。
彼は浮気をした。これは確かな事実である。
それは、彼女の想いを裏切る行為であった。
彼女は深く悲しみ、傷ついた。
――と、“ここまで”が、“確定していること”である。
しかし、“ここから”は、“確定していないこと”である。
……は?どういうこと?どういう意味?
うん。では、書いていくよ。
同じ状況であっても、皆が同じ行動をとるわけではない
彼はまぎれもなく浮気をした。そして、彼女は傷ついた。
しかし、その後の彼女の行動は、人によって違う。
まったく同じように浮気をされても、“怒る彼女”もいれば、“怒らない彼女”もいる。たとえば、「浮気したアンタが悪いんでしょ!」と言う人もいれば、「私にも悪いところがあったかも…」と反省する人もいる。すぐに許す人もいるだろうし、「じゃあ私も自由に浮気しよう」とプラスに考える人もいるだろう。
彼氏に浮気をされても、その後の彼女の行動は、人によって違うのだ。
(余談であるが、こういった考え方を『目的論』と呼んだりする。他方、「浮気したアンタが悪いんでしょ!」という考え方は、「浮気したのだから、悪いに決まっている」、言い換えれば、「アンタが悪いのは、アンタの浮気が原因」という『原因論』的発想である。)
――こむずかしい話はおいといて。
彼氏に浮気をされても、その後の行動は、自分の意志次第である。
まったく同じ条件、同じ状況であっても、皆が同じ行動をとるわけではない。
浮気をされて“怒った”、これは彼女の判断である。彼女が“怒っている”のは、彼の浮気が原因ではない、彼女の意志で“怒っている”のである。彼の浮気はあくまでも一つの事実にすぎず、そこから、その後、どういう行動をとるかは、彼女の意志と判断である。たとえば“怒った”とするなら、彼女の意志と判断で“怒った”のである。
これを極端な話だと思うだろうか?
「浮気したアンタが悪いんでしょ!」と彼女が叫ぶとき、彼女は「彼の浮気が『原因』で怒っている」と思っている。しかし、浮気されても怒らない彼女はいる。したがって、やはり、彼女の意志と判断で怒っているのである。浮気が原因ではない。
――どうだろうか?腑に落ちないだろうか?
特に女性の中には、「何言ってんだ?おまえバカか?」と言う人もいるだろう。しかし、一方で、「んー、たしかにそうかも。なんとなく言ってることはわかる」と、納得する女性もいるかもしれない。同じ文を読んでも、すべての人が同じ感想をもつわけではない。映画の感想が人によって異なるように。
“脊髄反射的な怒り”
「浮気したアンタが悪いんでしょ!」――“怒る”のは彼女の意志と判断によるものであって、彼氏の浮気が原因ではない。なぜなら、怒らない人もいるのだから。
――と、先程から、意志と判断という言葉を多用しているが、“怒る”という行為は「脊髄反射的な感情」であって、「意志や判断ではないだろ?」と考える方もいるだろう。
では、「感情」とはどのように形成されるのだろう。それは、個人の、個人的な経験によってそれは形成される。怒りっぽい人もいれば、滅多なことがなければ怒らない人もいるのは、これまで経験してきたことがそれぞれ異なるからである。
“彼氏に浮気をされて怒った”、これは、これまでの彼女の個人的な経験から自然と導き出された行為であって、防ぎようがないのではないか?防ぎ難いのは事実である。これまでの経験によって形成された感情とその発露は、意志ではどうにもならない部分ではある。
が、おさえておきたいポイントは、“彼氏に浮気をされて怒る”という行為や感情が、彼女自身の固有の反応である、という点にある。
“彼氏に浮気をされて怒った”、これは彼氏の浮気が原因となって導き出されたのではない。彼女自身の固有の経験と感情により、彼女は“怒った”のである。
彼女が怒るのは、彼の浮気が原因ではない。なぜなら、まったく同じように浮気をされても怒らない彼女はいるからだ。彼の浮気が原因であると言うならば、すべての彼女は等しく怒るはずであろう。
――ここまで述べたことを端的にまとめてみる。
彼に浮気をされて怒るのは、彼の浮気が原因ではなく、彼女自身の意志と判断である。また、その怒りが、彼女の脊髄反射的な感情であり、意志では防ぎようのないことであったとしても、それもまた、彼女の固有の経験と感情によるものである。もしも、「彼の浮気が原因である」と言うならば、すべての彼女は等しく怒らなければならない。しかし、彼女の反応はバラバラである。まったく同様の状況・条件であっても、怒る彼女もいれば、怒らない彼女もいるのである。したがって、彼に浮気をされて怒るのは、彼女自身の、“固有の反応”であると考えるのが妥当ではないか。
最後に
今回は、人の目をひくために、ちょっと面白い例題として、“彼氏の浮気”を挙げたのだが、このような思考はあらゆる場面で適用されるだろう。
個人的な話であるが、先日、私は風邪をひいてしまった。少々無理をして、翌日の仕事に出社したのだが、内心、『あ~風邪ひいてるし、きつくなったら早退させてもらおう』、あるいは、『今日は生産性の低い仕事しかできないな』と思っていた。
けれど、いろいろとあって、結局、最後まで仕事をこなした。意外にも、ふつうにこなすことができた。
そのとき、私は思ったのだ。
風邪をひいてしまい、心身が疲労しているのは事実であった。しかし、それゆえ、それが原因で“生産性の低い仕事しかできない”のではない。それは私の勝手な判断、私自身の意志でしかない。実際、風邪をひいていたが、ふつうに仕事をこなすことができたからだ。
浮気にせよ風邪にせよ、ソレを原因として決めつけてしまうのはよくないのではないか?自分の意志や判断といったものが多大に関与しているのではないか?――と、そう思ったので、こういった記事を書いてみた。
尚、念のため書いておくが、、、私が浮気をしたわけではない。「自己正当化のために、理論武装して、こんなこと書いてるんだろ!」って、いや、違う。そもそも私には彼女なぞいないし、「浮気したアンタが悪いんでしょ!」といった発言を受けるほどのプレイボーイでもない。……考えてもみてくれ。そんなヤツが、“妄想”して、“独り”で、“夜中”に、このようなことをインターネット上のブログにつづっているのである。なんとも寂しくて、悲しい話だろう。どうか笑ってやってくれ。
以上、@ryotaismでした。
