『音楽は好きだけどライブは嫌い』、それってダメなこと?
先日、この記事を読んで――。
おもしれぇな、と。わかるわかる、と。
苦手なんですよね、ライブ。音楽ライブ。
ちょっと、ボクも思うところがあるので、書いてみる。
尚、音楽が好きな人は,、下手くそな毒舌が多々あるので、読まないほうがいい。というか、読まないでください。どうかお願いします。[戻る]ボタン、あるいは[閉じる]ボタンを押しましょう。
地べたに座ってる人、多くない?
いや、これはボクが行ったことのあるライブだけなのかもしれないけど、、、なんか、地べたに座っているファンの方、多くないですか?ライブハウス周辺とかで。ロックのライブで特に。
えっと、あれは、なんでなんですか?
なんなら、地べたに座ってメシ食ってる人とかいないですか?
いやいや、ちょっと、よくわかんない。とりあえず、メシは家で食ってこようか。
単純に、見栄えがよくないなぁって。そんなことないですか?
たとえば、電車の中で、地べたに座ってる若者いたら、「おい、どしたどした?立とうか?ちょっと立とうか?風邪でもひいたか?」ってなるじゃないですか、一般的に。
それに近い感覚があるんですね。
なんか、もう、なんでそんなに地べたに座りたいんだろう?風邪ひいて、しんどいのかなぁと。
ボクはそんなに自由にはなれないなぁ、って思っちゃうんですよね。なんか、ちょっとひいてしまう。苦手。
『手拍子』や『合唱』したりする意味がわからない
まず、“手拍子”。
ボクね、手拍子、「うるさいな」って思っちゃう人間なんです。音の邪魔というか。
しかも、人によって“バラバラ”のリズムだったりするじゃないですか。
やめよう、それ、本当にやめておこう。
そして、拍手をうながすのもやめておこう、歌い手さん。
両手をあげて、手を叩いて、拍手をうながす歌い手さんっているじゃないですか。
えっと、、、思うんですよ。
「え!ちょっと待って!俺、今、指示された!?『拍手しましょう』って指示された!?」「はたして、私はこの指示に従うべきなのだろうか…!?」ってなるんですね。
「指示すな」、と。拍手なんて、“自然発生的”に起こるもんであって、指示をして作り出すもんじゃないでしょ、って。違和感。
続いて、“合唱”についてですが――。
客の声を聴きに来たわけじゃないので、不要だと思われます。
いらないんですよ、そんな感動。いらないんですよ、そんな一体感とか。みんなで大合唱とか。ボクはそんなの求めてライブに行ってないんです。ただ、音楽を聴きたいだけなんですねボクは。
そして、合唱、これもまた、“バラバラ”という…なんという…。
しかも、歌詞を覚えてなくて、2番の歌詞を間違えて歌っちゃう人もいたりして。
おい。おい、もうやめろ、と。『自重しろ』、と。
そして、歌い手さんの中には、合唱をうながす人がいるじゃないですか?マイクを客席に向けたりして。
ボク、思うんです。思ってしまうんです。
『いやいや、自分で歌いましょうよ』、って。なんなら、『あれ?もしかして、、疲れて、休んでいるのかなぁ』って思っちゃうんですよね。
疑い深い性格だから、そういうふうに勘ぐっちゃうんですよ。
本当に『ライブ=音がいい』?
音楽好きに聞いてみたいのだけど、
『ライブのほうが音がいい。ナマの音のほうがいい』って、よく云うじゃないですか?音楽好きの方々が。
でも、本当にそうなのかな?
というか、それ、あなたの好みじゃないですか?
ボクは部屋の中で、無音の中で、CDの音を聴くほうが『いい音』だと思うんですね。静かなところで、ゆっくり聴くほうが、『いい音』を感受していると思うんですね。
比べて、ライブは人が多くて、騒々しいし、発せられる音はよくても、環境がよくないから、結果、『音がよくない』という事態になってしまう。
んー。『ライブ=いい音』というのは、その人の主観であって、それを万人に通用するのは、無理があると思うんです。
ボクはライブの音がいい音であるとは全然思わないんです。
好みだよ、そんなもん。『ライブ=いい音』を、絶対的真理みたく語るの、マジで勘弁してほしい…と。
くだらないMCをするなら、とっとと歌ってほしい
……いや、感動的なMCもありますよ。
そして、歌とは違う側面を垣間見れるようでうれしい、というのもわかるんですよ。ファン心理として。
でもたまに、めちゃめちゃくだらないことをしゃべる人、いないですか?
そういうとき、思うんです。
『だまって歌ってほしい』、と。
んー…というか…、『しゃべる』のなんて、ボクにだってできるんですよ。
ボクにでもできることを、なぜ舞台上でやっているんだろうか?
そりゃ真似のできないような天才的トークをする人もいるけど、ボクにとって、歌い手は、『音楽のプロ』なんですよ。
だから、舞台上では『音楽』をやってほしいんです。あなたの「得意げなおしゃべり」なんて、どうでもいい。
――と思ってしまうんです。ごめんなさい。ほんとすいません。
『没個性』に耐えかねる
まず、『一体感』というのが、苦手なんです。
みんな同じ方向を見て、同じように拳をつきあげて、合唱までしちゃって。すると、自分がかき消されていくような虚しさを感じてしまうんです。
そういうとき、自分の個性が埋没していくような感覚に襲われませんか?
んー…ボクだけだろうか。いや、他にも同じような人はいると思う。
『ここにいちゃマズイ…』って、思ってしまうんですよね。
なんか、妙な『焦り』が生じるんです。『没個性の焦り』。
周囲と一体化することで、“自分が吸収されてしまう”、“かき消されてしまう”――自分がいなくなっちゃうような、恐れを感じてしまうんですね…。焦燥感。
舞台上で『主役ヅラ』しているのが見てられない
「歌い手さんが、舞台上で主役ヅラしているのが見ていられない」。
「この場所だけは自分が主役」「ここだけは、自分のフィールド」「ここが私の生きる場所」――そういうのを見ているのが苦手なんです。
無論、そういった自己表現欲求/自己顕示欲/自己陶酔みたいなのがないと、表現活動なんてできないのかもしれない。
でも、ちょっと見てられないんですよ。
歌い手さんには歌い手さんの人生がある。でも、私には私の人生がある。それぞれまったく別の人生があって、『あなた主役ではないんですよ』、と思ってしまう。それぞれ、皆、主役であって。
それを、なんというか、、、「今日だけは私が主役」みたいな感じを出されると、「じゃあ、一体、私は何なんだろうか…」と思ってしまう。意図せずして、“引き立て役”になってしまっている自分。
んー…。そもそも、あれですね。
『あなたが主役です』と認められる人、許せる人、崇めるられる人でしか、『ライブ』というのは楽しめないのかもしれない。
そう考えると、自分はそもそも、ライブに向いていないのかもしれないなぁ。
★★★
音楽が好きな人からすれば、さぞウザったい、軽薄な内容であったと思う。
でも、なかには、共感してくれる人や、「一理ある」と思ってくれる人がいるのではないか。100人のうち、99人が「嫌う」内容であったとしても、1人が大変共感してくれるならば、書いてよかったと思う。
かねてから発言してますが、『音楽は好きだけどライブは嫌い』、いいんですよ、全然ありです。ライブなんて行かなくても、音楽が好きと公言していい。ライブ原理主義者は、“そこまで足を運んでいる”ということから、そんな自分を肯定して語るものです。
人は人、自分は自分。
ライブなんて行かなくても、音楽が好きと公言してOKです。また、Youtubeだけで音楽を聴いてても、OKです。ボクはそう思います。
以上、@ryotaismでした。
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