海を前に『広さ』を見るか、『深さ』を想うか@沖縄旅行
この前ね、沖縄に行ったんですよ。3日間くらい。
でね、言うんですよ。
「わーー!海、広ぇなぁああ!!」って。
言うんですよ。そりゃ言いますよ。
でもね、俺、思ったんですよ。
「海の見方」って2つあるよなぁ、と。『広さ』と『深さ』、この2つ。
というのも、沖縄に行った初日、沖縄県立博物館に行ってきたんです。そしたら、特別展で、『水中文化遺産~海に沈んだ歴史のカケラ~』というのがやってて。観たんです。
汗だく。なんとか到着。まずは博物館だろうやっぱり。 pic.twitter.com/HXp6wYnK8t
— 福森亮太 (@ryotaism) 2014, 11月 9
おもしろかったですよ。水中に眠っていたものが展示されていて。遥か昔に沈んだ船の部品とかね。貿易で使われていた茶碗とか、なかには剣とかもあった。
こんだけ古いものが残っているのは、理由があって。
ふつうね、地上だったら、“風化”してますよね、って。
これ、水中だから、ちゃんと残っていたわけです。水中の奥深くで眠っていたから、壊れることなく、残り続けていたわけです。
で、沖縄初日にこんな展示を見ちゃったものだから、海の見方がおかしくなっちゃって。
ふつうね、沖縄着いたら、「わー!海、広いい!そして青いい!」って言うもんですけど、「んー…。これ、こいつ、とんでもなく深いんだよな……」なんていう、ちょっと変な見方になってしまって。
で、思ったんですよ。「んーでもあれだな、海の見方って2つあるよな」って。
目に映るのは、肉眼で確認ができるのは、海の『広さ』。他方、『深さ』は目では確認ができない。『深さ』は頭のなかの想像である。
で、思ったんです。というか、よく云うじゃないですか。
『目に映るものがすべてじゃない』って。
これ、かっこいい言葉ですけど、どういうことかって、つまり、今回の海の例でいうと、『広さ』じゃなくて、『深さ』にも目を向けようなってこと。表面的な部分だけで判断するんじゃなくて、奥行き、立体的にモノをみる視野、つまり想像力をもとうぜってこと。
目に見える部分、表面だけを見ていると、けっこう危険なんですよね。
人間関係でもよくあるじゃないですか。その人の短所ばかりが目について、長所をみない、とか。だいたいの人間は性格に裏表があるのだけど、表面だけでその人を判断しちゃったり。そうすると、人間関係がぎこちなくなってくる。人を許せない、納得がいかないことが増えてくる。
「良い部分もあれば悪い部分もある」「Aという考え方もあればBという考え方もある」、そういった複数の見方/視野をもっているほうが、この世の中っていうのは住みやすいんですよね。一元的な見方では、“頑固”になってしまったり、“エゴ”になってしまったり、結果、生きにくくなったりして、周囲から腫れ物扱いされることもある。
人間関係に限らず、なにかモノを考えたりする際は、“目に見える表面”だけで判断するのではなく、その裏側、奥行き、深さを想像することで、新たな発見、発想が生まれるかもしれない。海の『広さ』だけに目を奪われるのではなく、その『深さ』を想うことで、またひとつ、海の神秘を知るように――。
★★★
海を前に、『広さ』を見るか、『深さ』を想うか――そういうところに、性格とかも、あらわれるような気がします。まぁ「だからなんだよ?」という日記でした。すいません。
最後に、ぜんぜん関係ないんですが、SONYのHDR-CX535で動画をとってきたのでのせておきます。いや、綺麗だったなほんと。
以上、@ryotaismでした。
