“なぜこんなふうになってしまったのか?”

どのタイミングで、ズレてしまったのか?

「夢をみる大人」になってしまった。

「子供のような大人」になってしまった。

いくつになっても、夢ばかりみている。精神的に幼く、理想ばかり追いかけている。

もっとしっかりしたらどうだ?

まじめに会社で働いて、収入もらって、結婚して、家庭を築いて――そんな『社会人』になってみたらどうだ?

いつまで夢みたいなこと言ってるんだ?

現実を直視しろ。

そろそろ『大人』になれ。

いつまで子供みたいなことを言っているんだ。


こじらせてしまった大人


さて――ボクのように「こじらせてしまった大人」は他にもいるのではないかと思う。

精神的に幼く、理想ばかり追いかけている、夢見がちな大人。

『ちゃんとした大人』になれない、なれなかった大人。

いわゆる、一般的な、『社会人』になれなかった。

いつまでたっても、安定した職につかない。結婚や家庭など、程遠い。何かしらに挑戦しては失敗を繰り返している。貯金は多くはない。特別アタマがいいわけでもなく、たいしたスキルももっていない。にもかかわらず、夢ばかり追いかけ、理想を捨てきれない。体だけ大人。

いつまでたっても子供である。子供のような大人。

モラトリアム、健全な大人ステップを踏めなかった。

完全にこじらせてしまった。

「ふつうの社会人」「ちゃんとした大人」に、いつから、“なれなくなった”のだろう?

一体、どこでつまずいたのか?

10代の頃より、その兆候はあった。が、それは問題ではない。誰しも若い頃は夢見るものだ。

問題なのは、そのまま、変わらずに、20代を過ごしてしまったこと。

20代になってからも、10代の感覚のまま、過ごしてしまったこと。

私がそうしたのだ。私がそれを選んだのだ。

“幼いまま”でいられる環境、10代の感覚のままでいられる道を、選択してきた。

私は“幼さ”にしがみついた――胎内がもっとも落ち着くように。大人になることを拒んだ。

そんなふうに20代を過ごしてしまった結果、幼いまま、大人になった。子供のまま、大人になってしまった。

夢みたいなことばかり言っている。理想ばかりで、現実を見ない。精神的に幼い、子供のような大人。

気づいたときには、もう遅い。

いくら反省しても、時間は戻せない。

一度できあがってしまった『幼い大人』は、戻すことができない。一般の大人路線へは、戻れないのだ。


「そのままいくしかない」と、腹をくくれ



さて、「だからなんだ?」という話。

精神的に『幼い大人』になってしまった。いつまでも『夢をみる大人』だ。

さぁ大変だ。

仕事が長続きしない。貯金は少ない。気づけば、恋人ができにくい年齢になっている。家族なんて夢のまた夢。社会に貢献できていない、体は大人の社会人。

取り残されていく。

知人・友人ふくめ、周囲がそれなりに“一人前”である中、じわじわと孤立していく。歳をとっていく自分。

さぁ大変だ。

焦っても遅い。

“幼さ”は、手の施しようがない。できあがってしまった『幼い大人』につける薬などない。どうすることもできない。

ならば、『幼い大人』『夢みる大人』で、一生いくしかないだろ。

そのまま突っ走れ。死ぬまでずっとそのままでいってみるんだ。

子供みたいな大人だ、この先、つらいことが待ち受けている。耐え難い嘲笑に囲まれることもある。が、そのまま突き進む。突っ切る。

『ちゃんとした大人』になれなかったやつは、もうそのまま、一生そのままでいくしかない。

ならば、そのまま突っ切ればいい。

理想ばかり追いかけて、こっ恥ずかしい思いをすればいい。夢をみつづけて、貧乏になれ。友達がいなくて、孤独になれ。寂しい老後を過ごせ。過去を呪え。後悔しろ。短命も覚悟しておけ。

腹をくくれ。私は一生、『幼い大人』『夢をみる大人』でいくんだと。もう、それしかないんだ。精神的に幼いまま、臨終を迎えろ。

だから、許してやれ、『ちゃんとした大人』になれなかった自分を。認めてやれ、そのまま突っ切ると決めたのだから。

自分で自分を励ませ。“幼い”がゆえに起こる弊害に負けず、どこまでいけるか、どこまでもいけるのか、辛けりゃ鼓舞しろ、自らの”幼さ”を貫き通せ。「これが私なんだ」、と。

腹をくくろう。ちゃんとした大人にはなれなかった。『幼い大人』『夢をみる大人』になってしまった。ならば、腹をくくって、そのまま突っ切れ、突っ走れ。それしかない。


◆ ◆ ◆

言うまでもなく、これは私にむけた文章である。まったくどうしようもないだろう?こんな大人。自分語り、ずっと自分語り。

またどこかで。@ryotaismでした。

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