無職が最も気をつけるべきは『孤独』だ。
さて、無職になったわけですが、「これだけは気をつけねば」と、肝に銘じていることがあります。
20代の頃、借金をこさえて無職でひきこもっていた時期が数回あって、そのときに学んだことです。
言うまでもなく、いろいろなことが起こる。
収入がなくて貧乏とか、世間の眼差しが冷たいとか。
諸々、ひと通り経験したうえで、ぜんぶひっくるめて、思うこと。
無職になったとき、もっとも怖いのは『孤独』だということ。
貧乏とか世間体とかは、我慢ができるんです。スルーできる。というか、無職を選択したのは自分自身ですから、言い訳もせず、黙って受け止める。
無職になっても、平和な日本では、だいたいのことは我慢ができる。
例えば、“世間の冷たい目線”なんてのは、意外と余裕で乗り越えられる。「ん?だから、あ、そう。」てな具合で、ツラくも何ともない。
まったくどうしようもない話ですが、そんな人間にも、倒せないものがある。
それが『孤独』です。
『孤独』にだけは、マジで気をつけろ、と思う。
今から書くのは、ボクの実体験ですが、他の人にも当てはまるかどうかはわかりません。参考までに。
「貧乏」と「孤独」は全く別物
貧乏というのは、最初はツライ。
が、次第に、その状況に慣れていく。我慢が苦ではなくなる。
水道や電気が止められても、すぐに死ぬわけじゃないので、我慢ができる。食事が貧相でも、そもそも食事にそんなに期待もしていないので、我慢ができる。
でも、『孤独』は違う。
『孤独』っていうのは、急に来る。予行練習ができない。
気づかないうちに、背後にいて、不意打ちをくらう。
「あれ? もしかして、孤独?」というふうに、孤独は急におとずれる。
『貧乏』は通帳残高をみればわかるが、『孤独』は、“感じるもの”だから、いつおとずれるのか自分でも予測不能。
また、【貧乏耐性】は、経験と訓練によって、徐々に身につけていくことができる。例外もあるが、通常、『貧乏』とは、“少しずつ”貧乏になっていくものだから。初心者レベルから始められ、少しずつ耐性を身につけていくことができる。
かたや、【孤独耐性】は、そう簡単ではない。
普通に社会生活を送っている場合、孤独を経験すること自体が少ない。身につけたくても、なかなか身につけられるものじゃない。
【孤独耐性】がある、前もって『孤独』を受け入れる準備ができている、そんな人、少ないんじゃないかと思う。非常に訓練がしにくいものだから。
で、そのような【孤独耐性】がない人に、『孤独』は何の前触れもなく突如あらわれるのだから、そりゃあダメージを受けるにきまっている。
『貧乏』が徐々に簡単なところから始まるのに対し、『孤独』はいきなり上級者レベルから始まるようなもの。【孤独耐性】がない人にとっちゃ、たまったもんじゃない。
これにより、『貧乏』は耐えられても、『孤独』には耐えられないということが起こる。
では、一体、『孤独』の何が恐ろしいというのか?
孤独は、心を蝕んでいく
無職だと、独りで過ごす時間がついつい増えてしまう。周囲は働いているわけですから。
そうして、いつの間にか孤独になっていく。周りに人がいなくなっていく。
そのくせ、自分の悩み事はどんどん増えていく。
「もしもこの先、仕事につけなかったらどうしよう?」とか、「貯金がゼロになったら一体どうしよう?」とか。
ところが、相談する人がいない。
「自分でなんとかするしかないな…」と思うのですが、なかなか何ともならない状況が続く。
そして、気づけば、貯金が少なくなっている。
お金が減っていくと、焦るし、怖くなってくる。そして“助け”を求めたくなる。
ところが、お金の相談ができる人がいない。支えてくれる人がいない。
そこでようやく気づく、『孤独』に気づく。孤独の恐怖を、そこではじめて感じる。
いや、といっても、実際のところ、このような状況に陥っても、落ち着いて対策をねれば、意外となんとかなる。日本はそれくらい恵まれていると思う。
が、ところが、そうはいかないのは前述した通りで――。
【孤独耐性】が身についていないから、ある種のパニック状態に陥ってしまう。
焦りと恐怖で、とてもじゃないが、冷静に今の状況をとらえることができない(客観的にものを言ってくれる人も周りにはいない)。
そして、どんどん勝手に自分を追い込んでしまう。「ヤバイ、ヤバイ…」と、気が滅入ってくる。眠れない。気づけば、朝陽がのぼっている。何も無い一日がまた始める。イヤになってくる。鬱っぽくなる。少し、死にたくなる。(例えば、ボクの場合、毎晩寝るときになると、「このまま一生、目が覚めなければいいのに」と思いながら目を閉じていた)
それくらい、『孤独』というのは、目の前の視界を閉ざしてしまう。
『孤独』っていうのは、つまりはストレスなんであって、蓄積すると、心が病んでくる。
最初はなんとなく「死にたい」なんて思っていたことが、現実味を帯びてくる、強い気持ちにかわっていく――『孤独』はそのきっかけとなる。
“『孤独』とは、とんでもなく恐ろしいものだ”、ボクは今でもそう強く思っている。むちゃくちゃ怖い。「こいつだけはどうやって倒せばいいのか」、ボクにはいまだにわからない。できれば遭遇したくない。
『孤独』にならないようにする
では、どうすればいいのか。
一度、『孤独』に引きずり込まれると、そこから挽回するのは難しい。精神的にも病んでいるなら尚更。
となれば、「『孤独』にならないように心がける」、しかない。
病気の予防といっしょで。そうならないように気をつけるしか手立てはない。
ということで――。
人との繋がりを切らずに、いろんな人と話すように心がける。
それくらいしかボクには思いつかないのだが、こちらから友人を誘ってみるとか、故郷の家族と連絡をとるようにするとか、これまで以上に恋人を大切にする、とか。
飲み会などに誘われたときは、無職だと行きにくいものです。お金だってないし。でもそこを何とか、少しでもいいから顔を出して、人と交流するように努めてみる。
ネットを含め、何かしらのコミュニティに参加するのもいいかもしれない。できるだけ外出をする、などでもいい。
無職になり、人との交流に消極的になっていると、どんどん周りから人がいなくなっていく。
以前と違って、会社という繋がりも、仕事という共同作業もない。また、お金もないから付き合いも悪くなる。
無職は『孤独』に陥りやすい。なので、人との繋がりを意識的に注意しておかなければならない。
すがりつくような格好になるかもしれないが、それほどまでに、人との繋がりを大事にしたい。
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はい、ということで、無職のボクが最近、気をつけていることでした。びびっているんですね。びびっています。
以上、@ryotaismでした。がんばりましょう。