親切と感謝は単発で終わらない、伝染していくもの。
ちょっと前にあったことなんですが。
仕事が終わって、電車にのってて。
満員ですから、座席の前で、つり革につかまってたんですよ。
ボクのとなりには、2人いて。お母さんと、その子ども。
子どもは、だいたい小学2~3年生くらいかなぁ。元気盛り。
まぁ、そんな親子に、ボクは特に気にもとめず――。いつも通り電車にのってて。
そしたらですね、目の前の座っていた人が、立ち上がってこう言ったんですよ。
『よかったら、お子さん、座ってください』って。
立ち上がって、自分の席を子どもにゆずったんですよ。
で、お母さん、『すいません…ありがとうございます』って、ペコリとお辞儀して。子どもを座らせて。
「ああ、いい場面を見たなぁ」って、ボク、心が温まりました。
そんなこんなで――。
しばくして、次の駅に着いて。
ボクの目の前の人が、降りたんです。その駅で。
で、ボク、その人が座っていたところに座ったんですね。となりには、先ほどの子どもが座ってて。
仕事で疲れていたし、「座りたいなぁ」って、つり革につかまりながら、思っていたので、ああ、よかったな、って。
電車が再び動き出して。
ガタンゴトンと、揺れる。
……ん―――ちょっと待てよ。。。
『あれ? なんか、俺、マズってないか??』
なにか、間違いをしているような……。
ふと、となりで座っている子どもが目に入った。
……!?
ミスった! こりゃあかん!
お気づきの方もいると思う。
この場合、先ほどの子どもの、お母さんが座ったほうがよかったんですよ。ボクが座るんじゃなくて。“親子をペアにして座らせた”ほうがいい。
お母さんは自分の子どもをとなりで、あやしたほうがいいじゃないですか。というか、お母さんだけ立ってて、子どもだけが座っている、って、そもそも変というか。
隣同士で座ったほうが、いいでしょ。親子セットにしたほうが。
それが親切ってもんでしょうが。「何を俺は、ふつうに座っとるんだ」、と。
これね、なんでそんなふうに後悔してしまったかって、先ほどの場面を見ているからなんですよ。
先ほどの、「男性が子どもに席をゆずる場面」を見ているから。
で、「自分がそのような配慮ができていない」と、悔やんでいるわけです。
悶々しました。「うわー、俺、なにやってんだ…」って。
そして、ようやく、お母さんに言いました。「よかったら座ってください」、と。「あ、いいんですか、すいません…」と言って、お母さん、座りました。
そして、ボクは再び、つり革につかまりました。
「ダメだなぁ、俺は。こういうのに、パッとすぐ気づけないから仕事もできないんだなぁ。」なんてことを思ってたら、いつの間にか目的地に到着しました。
「さて、降りよう」、と。
そんとき、先ほどのお母さん、パッと立ち上がって、深々と頭を下げたんです。
『本当にありがとうございました』って。
で、ちょっと、ボク、びっくりしちゃって。
まぁ、たしかに、席を代わったのはあるけど、そこまで感謝されるほどのもんでもないですよ。
「いえいえ、とんでもないです…」って。
とぼとぼと、駅のホームを歩きながら。ボク、思ったんです。
たぶん、最初の男性が子どもに席をゆずったのを見ていなかったら、ボク、ふつうにずっと座ったままだったろう、って。
つまり、どういうことか。
親切とか感謝とかって、伝染するもんなんだな、と。
最初の男性の、親切な行為が、ボクにもそうさせたわけだ。(ボクひとりだったら、間違いなく、座ったまま爆睡していただろう!)
単発では終わらないんですよ。親切とか感謝って。
例えばね、極端な話――。
「目の前の女性がハンカチを落とた ⇒ 拾って渡してあげた ⇒ ありがとうございますと感謝された」
このエピソード、これ、単発で終わるエピソードじゃないんですよ。
実は、そのあと、その女性、別の人のハンカチを拾って、渡してあげるかもしれない。あるいは、もっと別の形で、やさしい行いをするかもしれない。
ついつい、親切な行いって、「それ一発で終わっちゃう」、「ありがとうの一言で終わっちゃう」って思ってしまうんです。
でもそうじゃない。
その後には続きがあって、「ひとつの親切」は、波及していくんですよ。きっと。
最初に、子どもに席をゆずった男性は、「ひとつの感謝」だけじゃない、そのあとのボクの行為もあったから、結果、「ふたつの感謝」を生み出したわけです。
で、さらにボクはこう思ったんです。
ボクの大好きな芸人さんに、ダイノジ大谷さんがいるんですが、この人、おもしろくて。
“カラオケで最初の一曲目を歌うやつが、いちばんカッコいい”って。
カッコよさの物差しとして、そういうことを話されるんです。
なんでかって。
最初に歌うのって、恥ずかしいじゃないですか。できれば、3、4番目あたりに歌いたいですよね。
そんな中、最初に歌う人ってのは、恥を自分でかぶるわけです。
そうすることで、次の人、次の次の人が歌いやすくなる。
最初に歌うことで、そのあとに歌う人の恥を、全部かぶる。それがかっこいい、と。
これ、ボクの今回のエピソードにも応用できるんです。
「ああ、最初の男性のおかげだ。そのおかげで、ボクは母親に席をゆるずれたんだ」、と。なんて、かっこいいんだろうか。
そして、もしかすると。
「あの男性、本当は恥ずかしかったんじゃないか? 勇気をふりしぼって、席を代わったんじゃないか?」――カラオケで一曲目を歌うのがちょっと恥ずかしいように。
実は、そういう葛藤があったのかもしれないな。
とにかく、結果、その男性の親切は、単発では終わらなかった。ひとつの感謝で、終わらなかった。
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これ、けっこう前の出来事なんですけど、ボクの中で、印象強くて。
いつかブログに書きたかったんですけど、書けたよかったです。
じゃあまた。@ryotaismでした。
