Goose houseが嫌いな人、好きな人、なんとなく聴いている人
「Goose house」、知ってますか?
YouTubeとか、Ustreamで有名な人たち。音楽ユニット。
普通のアーティストがテレビなどのメディアを活動の場にするのに対して、Goose houseはインターネット上の動画配信サイト、UstreamやYouTubeを通じてオリジナル曲やカバー曲を配信している。
オンラインショップでは独自のブランドを展開し、ニット帽、Tシャツをはじめとする衣類、財布、バッグなどの公式グッズやCDの販売がされている。
Goose houseのファンのことを「ハウスメイト」と呼ぶ。
ためしにYoutubeでみてみるといいかと思います。
みなさんテクニックがあって、そしておしゃれだ。
「あと何回生まれ変われば、Goose houseみたいなさわやかな集団にまじれるのか…」「YoutubeでGoose houseをみているときの私の格好の汚さ、ヤバイ…」と、定期的に消沈するわけですが。。。
さて、そんなGoose houseについて、ちょっと書いてみたいと思います。
Goose house周辺――“ネットで有名になること”
どういう人がGoose houseの周りにはいるのでしょうか。
分布図です。あくまでボクのカンです。※なんの根拠もないですよ。
割合でいうと、こんな感じじゃないですか?
つまり、『なんとなく聴いている人』が圧倒的多数、ではないかと。
これ、仕方ないんですよ。Youtubeで有名になる、という場合、これは仕方ない。
Youtubeってのは、気軽に、無料で、音楽を聴ける場。だから、「名前を売る」には、効果的です。CD屋に行かなくていいんですから。というか、無料だし。スマホでボタンひとつで聴けるし。
でも、“気軽に無料で音楽を聴ける”ということは、言い換えれば、“なんとなく音楽を聴く人が多い”、ともいえるわけだ。
「なんとなく聴く」ことができるのは、お金がかからないから。そして、ボタンひとつで聴くことができるから。
なので――。推測ですが、Goose houseの名前を知っている人の過半数は、「好きな人」でも「嫌いな人」でもない。「なんとなく聴いたことがある人」です。
なんとなく知っている人は多い。知名度はある。でも、知っている人の大半が「なんとなく聴いている人」だから、実益がどれほどでるかは、何かもう一工夫が必要である。
「ネットで有名になる ⇒ 『なんとなく聴いている人』が増えているだけ」――こんなこと、今さら言うまでもないのですが、そこがネット音楽活動での一つの壁となっている。
知名度の『質』の時代
先ほどの円グラフであげたのは、以下の3タイプ。
- 『好きな人』
- 『嫌いな人』
- 『なんとなく聴いている人』
それぞれをみていくと、、、
『好きな人』とは、動画をきっかけに知って、その後、ライブに足を運んだりCDを購入してくれた人。いわゆる、『ファン』ですね。
(ファンについては2年前に書いた記事があるので参照 ⇒ ファン心理とは何か?ライブに人が来ない本当の理由)
『嫌いな人』とは、ネット上で誹謗中傷をしたり、「何がいいのか全然わからん!」と言ったり、「生理的に無理!」という方々。色々な理由から、認めることができない人。
Goose houseは、見事に知名度をあげました。
「カメラ目線」「知っている曲」「楽しそうに歌う」など、もろもろの演出は、ほぼ完璧に成功したといえる。
しかし、知名度があがっただけでは、なかなか実益はでないのがインターネットで、肝心なのは知名度の『質』である。つまり、どういったタイプの人が知っているのか?知っている人はどういったタイプの人が多いか?
言うまでもなく、『好きな人』(ファン)が増えるのが最も望ましい。その割合を増やしたい。
しかし、そのために『嫌いな人』に“好きなってもらう”。――というのは、現状、選択肢としては難しい。
というのも、『嫌いな人』が多いならばいい、可能性はある。でもGoose houseが『嫌いな人』人は、先ほどの円グラフで示したように、割合としては少ないだろうと思う。そこを裏返したって、収穫が少ない。
生理的に無理はあっても、特別、嫌われるような行為をしていない。“出る杭打たれる”的な、突出した個性をぶつけるグループでもない。『嫌いな人』が増加すること自体、あまりないんじゃないか、と思う。
なので、『嫌いな人』については、特別なにもしない。
となれば、やはりこうなる。
好きでも嫌いでもない、『なんとなく聴いている人』を『好きな人』へともっていく。
ベタな結論ではあるが、このあたりを狙っていくしか無い。
選挙でいえば、浮動票を集めるのに似ている。
しかし、これが容易ではない。――選挙に興味がない人を、選挙に行かせるのが難しいように。
Goose house――“『戦略』と『実力』”
『なんとなく聴いている人』にも、なんとなくの理由がある。
名前は知っているし、歌だって聴いたことがあるのに、なぜ“なんとなく”のままなのか、やはり理由があるのだ。
そこを解消するのが非常に難しい。
さて――。
ようやくここで『実力』が問われる。『実力』という話題に切り替わる。
ネット戦略だとか、動画の演出だとか、カバー曲から知ってもらうとか、そういうやり方のことを、アーティストの『実力』とは呼ばない(とボクは思う)。
それらは知名度をあげるためのものであり、『なんとなく聴いている人』を増やすための戦略。この戦略は、メシを食っていくためには時に必要である。
しかし、『なんとなく聴いている人』を『好きな人』(ファン)につなげるのは、戦略ではどうにもならない。『実力』です。
実力とは、言うまでないです。歌、のことです。
卓越した技術とか、そういうのでもない。
「うまい!」とかそういうことではなく、お金を払ってまでも、時間をさいてまでも、「聴きたい!」と思わせるチカラ。
“自分の音楽で人を酔わせられるか”、ということです。
『なんとなく聴いている人』が増える――つまり、知名度を上げることには成功した(戦略的には成功した)。しかし、その人たちを『好きな人』につなげられるかどうかは、“実力”の問題であり、もしできなかったのならば、“実力がなかった”、ということ。
そこは戦略ではどうにもならない。
もしも、『なんとなく聴いている人』を『好きな人』にする――そこさえも、“実力”ではなく“戦略”で囲おうとしたならば、失敗するだろうと思います。そうなると、「戦略的すぎる」、となってしまい、そういうのを嫌う人は多い。戦略は、目に見えると終わりです。
そこは、どうしたって、“実力”の話。“実力勝負”、になってくるんではないでしょうか。
戦略的になりすぎてはいけない、と思います。
◆ ◆ ◆ ◆
以上です。
「歌を売るんじゃない!アイデアを売る時代なんだ!」、それはそれで面白い、と思います。“戦略勝負”という世界は見応えがある。
でもそれだけじゃ、維持ができない。
戦略と実力、両方が大事なんだろうな。。。と思った話です。えらっそうにすいませんでした。
ではまた。@ryotaismでした。
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