上記画像に特別な意味はないのですが、なんとなく。

来月6月から、東南アジアに行ってきます。

【期間】
6/2~8/31(約3ヶ月間)


【行先】
マレーシア ⇒ シンガポール ⇒ タイ ⇒ カンボジア ⇒ ベトナム

あくまで予定、イレギュラーがあれば、変更は大いにありますが、ひとまずこのような段取りです。いちおう友人とともに行くのですが、現地ではほぼ別行動な感じです。

だいたい、あと一週間後かな。チケットも往復で買った。

ということで、なんで海外行くのか、とか、今の心境を少し綴ってみます。


自分の中で、自分が“ありふれてしまう”こと


以前、ブログでも書きましたが…。

(参照:30歳を過ぎて思うことは「やってきたこと」より「やってこなかったこと

ボクはほとんど海外に行ったことがないので「じゃあ行こう」と思った。こんなもんはテンションである。ビビらない、深く考えない、以上だ。

また、ボクは、どちらかというと性格も暗く、ひきこもったり、ニートだったりで。――でも、そういうのって、ありふれている。ありふれているんです。

それは、「そういう人って世の中にありふれているよね」、ということではなく、「“自分の中で”ありふれている」。

もう、さんざんわかったよって。『性格が暗くて、ひきこもりで、内向的なんでしょ? はいはい、わかった。そんな自分、そんな私、もう見飽きたよ』という自分に対する辟易。

無論、海外に行ったとて、すべては本人しだい。環境が変わっても、何も学べない自分であるなら、やはり意味がない。

が、言葉の説得力も、思想の深みも、新しいことをやっていくことでしかなかなか育たない。


海外に行って何をするのか?


具体的なことは随時、このブログで書いていこうと思うのですが、バックパッカーとか、自分探しの旅とか、そういう感じではなくて。(昔からそういうのにはあまり興味がわかないタイプです…)

何か、人が楽しんでくれることができればいい。外部に向けて発信していく姿勢でありたいと思う。自分の中にとどめておいても、部屋の中で一人でいるのとあまり大差ないので…。自己満足で終始してはいかんなぁと、思っております。

文章も考え方も、もっと面白いことを書きたいです。過激であれば面白いわけではないが、「過激でないもの」は、往々にして「つまらない」。そのためにも、ちょっとは飛び出さないといけないだろう。

面白いことができればいい。そして楽しんでくれたらうれしい、ありがたい。燃え尽きて死にたい。書かせてくれ、しゃべらせてくれ、と思う。

◆ ◆ ◆

“人間、明日死ぬかもしれない”――よく聞く言葉ですが、これはどういうことかというと、「人生はいつ何が起こるかわからない」ということではなくて、「我々は、明日、死ぬことができる」、ということを意味している。

「自動車でどこへでも行けることを『自由』と呼ぶのではない。我々は自動車のハンドルをきって、電柱に衝突することができる、これこそが『自由』の本質である」

「こちらがわ/むこうがわ」という線引きがあります。

「むこうがわ」には一体なにがあるんだろうか?

ずっと気になっている「むこうがわ」。見たいけど、なかなか見れない「むこうがわ」、近づきたいけど、なかなか近づけない「むこうがわ」。そこへ向かって進んでいけたらいいな、と思います。

すごく抽象的でイタい言い回しになってあれですけども…。いちおう本音です。もうちょっと自分を危険にさらして、もっとギリギリまで行ってみたい、ということです。

はい。ということで、ひとまずの報告でした。

“生きててよかった、そんな夜を探している”って、フラワーカンパニーズが歌ってますが、自分にもそんな夜はきっとくるだろうと、そう思っています。

ではまた。今後もよろしくお願いします。@ryotaismでした。

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