東南アジアを周っている道中、“日本人バックパッカー”と出会うことが度々ある。

重々しい荷物を背負い、日に焼けた面構えは、いかにも“旅人っぽい”外観である。

国外へと飛び出すことで、見識を深めたいのか、何かそれ以外の目的があるのか、他人である私には知る由もないのだが、此度出会う日本人バックパッカーの多くは、二十代前半と皆若い。

処で、『昔と比べ、最近の若者は海外に行かなくなった』といったことを、統計データでもって聞かされる。“内向き志向の若者”、なぞ云う言葉もある。

かくいう私も、三十歳になってようやく海外に出るようになったが、それまでは毛頭興味なかった。TSUTAYAでホラー映画を片っ端から借りて観ているような、内向きな若者であった。

「若者はもっと海外へと出たほうがいい。世界を見たほうがいい」と云う大人がいるけども、お金もないし、面倒くさいし、というかそれよりもやりたいことがあるし。つまり、優先順位が低い。急いで“やらなければならないこと”、ではない。

そもそも、海外行ったからって、だから何だというのだろう――。

何か、こういったことはないだろうか。

『“日本は海外と比べて◯◯である”って、そんなもん、海外に行ってない人に言っても馬の耳に念仏なわけで、饒舌に語られても自己満足トークにすぎず勘弁してほしい。何かっていうと、海外と日本を比較するトーク、やめてほしい。もっといえば、海外行ったことある奴の“上から目線”ってなんなの、って思う』

↑何か、こういったことってないだろうか。

全ての者がそうではないのだろうが、海外から帰ってきた者の中には、確かに二三、そういう、言い方は悪いが、“ウザい若者”をみかけることがある。

無視すればそれでよいのだが、“自分は海外に行ったことがない”ので、強く言い返すこともできず、言われるがままになってしまうことがあり、未経験である自分のほうが劣勢であるように感じてしまうことがある。(無視すればそれでよいのだが)

これはおかしな話だな、と、以前から思っていた。

当たり前だが、世界一周したからって、つまらない奴はつまらないし、ウザい奴はウザい。

優越感をいだく気持ちもわからなくはないが、海外に行ったからといって、偉そうに“上から目線”で語っているのをみると、『世界を見てきた結果がそれなのか?――だったらたいしたことないな』と思うのである。

海外に行っても、結局、日本では“謙虚”が求められる。(良くも悪くも。)

海外で学んできたことを語るにしても、“謙虚に語る”という姿勢が無難であるという事実。『私は知っている/貴方は知らない』という線引き、見識の違いをみせてしまうと、うっかり相手の劣情をかきたてかねない。

これは面倒くさいといえば、まったく面倒くさい話である。そこまで気を遣わないといけないのか、と。がしかし、偉ぶって優越を感ずるよりかは、私ならそちらを選ぶ。あるいは、何も語らない姿勢をつらぬく。

また、“謙虚”を求められるのは、何も語る側だけではない。聞く側もまた、それを求められる。

自分の知らない世界、その体験談や情報を、“感情を抜きにして”(感情は一旦おいといて)、知ろう、学ぼうとする姿勢。

「海外行ってきたやつの上から目線がウザい」からといって、即座にシャッターを下ろし、関わりを避ける者と、「どんなんだった?ちょっと聞かせてよ」と、謙虚に知ろうという者とでは、その後に違いがでてくるのは、言わずもがなである。

ちっぽけな嫉妬感情や、イライラする気持ちは後ろに引っ込めておいて、自分にとって何が本当にプラスになのか?、考えてみる。

◆ ◆ ◆

優越感に浸るのもいい。卑屈になるのもいい。天邪鬼、結構。それでしか得られないことがある。

どちらが良い、何が良い、といったことは一概には言えない。

が、“謙虚”というものが、人間関係の繊細なバランスの中軸にある、と私は思う。面倒くさくない人間関係なんて、ないんじゃないか。

ではまた。@ryotaismでした。