ビミョウな話になりますが。

恋人といっしょに映画を観に行く――とする。

観終わったあと、口にした映画の感想が、恋人と「同じ」だったら、喜びを感じるだろうか? これこそが恋愛の醍醐味である、と。

別に映画じゃなくてもいい。たとえば、レストランに行って、「これおいしい!」と同じ感想を言い合うことが、楽しくて、幸せなことだと思うだろうか? これそがデートだ!、と。

この心情、すごくわかるんですよ。これは実に自然です。

「自分の価値観に共感してくれる人」「自分と同じ思いを抱いてくれる人」、広大な世界で、そういう人と巡り会えたときの幸せったらないですよね。“ひとりぼっちじゃない”という、ある種の救いでもあるし、それこそ『出会えてよかった』というセリフのひとつも言いたくなる。これ、自然だと思うんです。

ところがね、ここからちょっとビミョウな話になるんですが。

『そんなこと、なんとも思わない』というタイプの人がいる。

恋人といっしょに映画を観に行く。いっしょにおいしい料理を食べる。が、感想が同じでも、特に喜びが湧いてこない。そんなこと、なんとも思わない。

「いやいや、それが恋愛の醍醐味ですよ!それこそがデートの楽しさなんですよ!それがなかったら、恋愛もデートもなんも面白くないでしょ!」

同じ価値観であることの喜び、有り難み…コレです。恋愛の初期段階において、コレは外せないと思うんです。で、「喜び」や「楽しさ」は関係性が濃くなるにつれ、次第に、いっしょにいて「落ち着く」とか「頼りになる」「信じられる」とか、ワンランク上へと醸成する。

これが通常のパターンだと思うんですよきっと。が、おかしな人がいる。

恋人といっしょに映画を観に行く。いっしょにおいしい料理を食べる。

このとき、感想がそれぞれ違う、感じ方が私とあなたとで違った。

そんなとき、『感想が違うほうがうれしい』と云う人がいる。全くおかしな人である。

「感想が同じでも何とも思わない」と云う。「感想が異なる二人が、同じ時間を共有していることがうれしいのだ」と云う。異なる二人が一つの時間を仲良く共有するには、互いの価値観を認めねばならない。「そんな時間が今、成立しているんだぜ」と云う。

なにが平和だろうかと。映画の感想なんて違っていいという、ビミョウな話でも何でもなかったですね、すいません。@ryotaism