一度でも自殺をしようとした人からは、幸せが逃げてっちゃうって、本当ですか?
“一度でも自殺をしようとした人からは、 幸せが逃げてっちゃうって、本当ですか?”
映画『害虫』のなかに出てくるセリフです。
「俺選抜~おすすめ邦画15本」でも少しご紹介しましたが、大好きな作品です。
さて――。
ちょっとコマカイ話になりますけども。
“一度でも自殺をしようとした人”というのは、どこまでのことをいうんだろう。
どの段階のことなんだろうか――なんてことを考えておりまして。
- ステップ1:「死にたいなぁ…」と思う(希死念慮)
- ステップ2:「死にたい」と真剣に考え始める(自殺念慮)
- ステップ3:実行、行動にうつすことを考える(自殺行動)
- ステップ4:実際に自殺する(既遂自殺)
こういう段階がある。
【希死念慮 → 自殺念慮 → …自殺】といった具合で、最終的な自殺にいたるまで段階がある、といわれている。
(※このへんについては、ずいぶん昔にブログで書いたのでよろしければ → 人はなぜ自殺するのか―心理学的剖検調査から見えてくるもの)
ステップ1、「死にたいなぁ…」と思う。いわゆる【希死念慮】ってやつですが、このへんは、多くの人が経験したことがあるんじゃないか。
だれだって一度くらいは、死にたいと思うこと、あると思います。失恋とか、家族との関係とか、いじめとか、仕事の苦労とか……一度どころか、「死にたい」と思うことは何度あっても不思議じゃない。
そんな思いが加速して、「死にたい」と、わりとマジに考え始める。これもよくあることです。心の奥底で“死にたい”と思いながら静かに生きている。虚無的。死んでもいいと思っている。
――さて、大事なのはここから。
というより、これまでの段階は、特に今回書きたい話題でもありません。
- ステップ3:実行、行動にうつそうと考える(自殺行動)
大事なのはここ。ここからです。
「死にたい」と思う、そう思ったことがある。虚しくて、死にたいなぁと思っている。――これは現代においては、ありふれていることです。
しかし、このなかから、ステップ3の段階にいたる人は、一気にグッと減る。
死にたいなぁ思っている。が、たとえば、「自分は35歳の誕生日に死ぬ。場所は◯◯、手段は◯◯である」と、リアルに計画的に考えている人は少ない。
「死にたいなぁ」と思う人はたくさんいて、分母は大きいのですが、具体的な自殺行動について考えている人となると、その数はかなり少ない。
話をもとにもどします。
“一度でも自殺をしようとした人からは、 幸せが逃げてっちゃうって、本当ですか?”
“一度でも自殺をしようとした人”というのは、ステップ3の段階までいった人のこと。(映画内でも実際にそうである)
印象的なセリフなんですが、なにが言いたいかって、僕が思うのは、「そこまでの段階に行く人って、実際のところはすごく少ないよね」ってことです。
◆ ◆ ◆
「生きるのは大変なこと」。がしかし、「死んではいけない」。そんなことを考えていると、「いやいや、そんなに重く考えるなよ。もっとゆる~く生きようよ」という連中もいます。
いったいどうなんでしょうね。このへんは。
『挑戦』という言葉が、それだけで絶対的な正義であるなら、いちばん難しいと思うことに挑戦しないといけないよなぁ、なんてことを一先ず思います。@ryotaism
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