「L字型テーブル」を買ったりする最近の生活について
机が届いた。L字型の机だ。組み立てるのに一時間ほど要したが、出来上がった姿を見て、思わず「おぉ」と感嘆の声が漏れた。L字型ということもあって、これはなかなか立派な見栄えである。
組み立てた机を部屋の一角に据え、一週間前に購入した回転式のオフィスチェアに腰掛けた。椅子には肘掛けが付いており、また、背中全体を受け止めてくれる背もたれのおかげで、随分とリラックスができる。今までの座椅子生活とは、見た目も快適さも大きくレベルアップした。
黒光りする真っ新の机の上に、ノートパソコンやタブレット、マウス、スピーカー、ハードディスク……などを並べた。タブレットなんざ、たいして興味のない代物であったが、先月の給料日、某大手通販サイトでタイムセールが行われており、安かったのでとりあえず購入した。おかげで近頃は、月額五百円の動画見放題サービスを利用し、映画などをタブレットで観ることが増えた。
椅子に深くもたれかかり、ワイヤレスキーボードの上に両手を置いた。今月の給料日には、ノートパソコンにつなげる外部ディスプレイを買おうと企んでおり、その品定めを行う。どれを買おうか。パソコン画面上に陳列された商品一覧を眺め、楽しく迷う。
こんな生活もわるくない。私は今、恵まれている。幸せだろうと思う。お金がある。買いたいものが買える。働くことで、社会に自分の居場所が出来、無職のときに感じていたような引け目も相当治まった。人間関係だって悪くない。友達と酒を飲んで、楽しんで、次の日は仕事に精を出す。――こういう今の状況を、幸せと言うのだろう。これがずっと続けば、おそらくずっと幸せなのだろう。
悩みなど無い、死にたいなんて思わない。だからなのか、書くことがない。心が満たされているからなのか、表現したいことがない。飢餓感、切迫感、といったものが今の私には欠けている。書くことも、表現することも、今の生活を維持するためには一切必要ないのだ。むしろ、そんなものは邪魔になるだろう。
特に不満はない。充実している。何一つ文句はない生活である。しかし、このままでいい、とは思えない――ああ、そうか。死、だ。このまま今の生活が続けばいい、しかし、このまま死ぬことは認められないのだ。死というゴールを前にして、まだ私は何も遺せてない。遺す、遺したい、という意地汚さ。それが私の生に対する執着なのだろう。なんとも浅ましい生だが、右肩下がりの人生であるにも関わらず、まだ完全に捨てきれず、それを繋ぎとめているものは、然様な意地汚さである。生きることに固執する、確かな理由である。
近頃は、ようやっと仕事にも慣れてきて、就寝前の飲酒は以前よりも気楽で楽しいものとなった。悪酔いすることもなく、心地よい気分を保ったまま、寝床につく。消灯し、静まった部屋の中で考える。明日も仕事だ。がんばろう。今週末は、仲の良い友達と都内の居酒屋に集合する。久しぶりに会うから、さぞ愉快な時を過ごせるだろう。明日以降の私の笑顔は、容易に想像できる。それを実現することもまた、そう難しくはないだろう。そういえば、音楽を聴くために購入したブルートゥースレシーバは、明日あたり届くだろうか。スマートフォンとつなげるために購入したのだが、もし手持ちのスピーカーにも使えるなら一度試してみたい。――といった考えを巡らせていると、先ほどまでの眠気が薄れてきた。ほろ酔いだった意識が覚め、とじていた瞼をあける。豆電球の灯りが部屋全体を暖色に染めている。
ふいに、五年前に亡くなった祖母の顔が思い出された。ばぁちゃん子であった私は、未だにこうして思い出しては偲ぶことがある。
「じゃあ一体、いつまでこの生活は続くのか」
嬉しいや楽しい、といった感情では埋められない「穴」があって、のぞき込むとそこには「目」があって、その視線は訴えかけてくる。それは幻想だ、と。それは一時的な夢であり、虚構であり、逃避であり、嘘である、と。
今現在の私、そしてこの先の現実は、本来、ひとつの余裕も有りはしない。早急に「何か」をせねばならない切迫した劣勢にある。
「行きつく先は死、ということを承知していながら、私はまだそれを受け入れることができていない。一枚ヴェールを脱げば、その本性たるや、目も当てられない程に惨めなのが、私であり、私の将来なのだ」
まだ私は納得していない、まだ受け入れることができない。だから足掻いている、為すべきことを為す必要性を感じている。どこかまだ、私は自分自身に期待をしている。
こんな私でも、何か、文章を遺すことができるのだろうか。一端の、人前に出しても恥ずかしくないような、「力のある文」を書くことができるのだろうか。――難しい。どうみたって文章能力が足りていない。描写が未熟であり、構成には妥協がみられる。幼稚な文、と言わざるを得ない。にもかかわらず書き進めることは、分をわきまえていない、自らを客観視できていない、独善的で自己満足な愚行に過ぎない。潔く辞めることが利口であり、順道である。それについては自分でもよく理解している。それでも書かせてほしい。愚かであっても、書かせてほしい。
完全に絶望することは、難しい。――だが、完全に絶望しないことは、もっと難しい。
一体何時頃に眠りに落ちたのか、定かではないが、気づけば朝を迎えていた。なんだかとても腹が空いている。重い身体を起こし、のそのそとキッチンへと向かう。休日に買い置きしていた冷凍うどんを茹でる。
八時半には家を出たい、となると、あと三十分しかない。茹でている間に、靴下を履き、ワイシャツに袖を通す。遅刻しないように気をつけなければならない。
@ryotaism
