休日。たまには映画でも観ようと思い、京成線船橋方面行きの電車に乗った。車内は空いており、座ることもできたが、扉口付近で立ったまま、窓の外の景色を眺めていた。晴れた日中の昼下がり、ではない。すっかり日は暮れ、車窓の外は、家々の灯りが爛々と猫の目のように暗闇で光っていた。二十一時以降のレイトショーであれば、通常よりも幾分チケット値が安くなる。それを見計らって出発したのだった。

無論、共に観に行く者はおらず、一人である。誰かと映画を観に行くというような交友関係は、今の私にはない。どこを探しても、そのような友達、いや、知人すらいない。それについて特に私が思うことはない。これまでそういう生き方をしてきたが故の自然な結果であるし、また、私自身、望んでその道を選んできたのだ。例えば、「さびしい」といったことを、今更そのようなことを思うのは、調子がよすぎる。が、そうはいっても、もし、それでもそのような感情がどうしても込み上げてくるというならば、忘れよう忘れようと努めるか、或いは、我慢し抑えつけるのが、適切な振舞だと思う。

目的の駅に到着する。しかし、映画館は駅からやや離れたところにあり、徒歩で向かうには、ちと骨の折れる距離である。映画館行きのバスがあることを、事前に調べて知っていたので、そいつを利用して向かうことにする。駅のすぐ近く、停留所にバスが丁度待ち構えていた。乗り遅れまいと、急ぎ足でバスに乗り込んだ。

節電のためか、車内は妙に薄暗く、ワット数の小さい車内灯が、全体を青白く照らしていた。最初、乗客は私だけだと思っていたが、車内を見渡すと、最後部席の端に、主婦と思しき女性が一人ひっそりと座っていた。スーパーの買い物袋を両手で抱きかかえ、疲れた顔をして目を閉じている。やや前傾姿勢で、黒の長髪をだらりと垂らしている。見たところ、まだ四十代、しかし、車内の薄暗さも相まって、その全体から漂う雰囲気は、疲れた老婆のような哀愁があった。それは乗車している間ずっと、私の意識を刺激した。生活感は、獣の臭気がする――文庫本を読もうと持参していたが、そんな気にはなれなかった。

乗車して十五分ほど、或るバス停の名を運転手がアナウンスした。

「ああ、ここだ」

小銭を投入し、バスを降りる。降りた目の前に、大型のショッピングモールがあった。その入り口に向かって歩いていく。付近には、電飾の施された植え込みがあり、豆電球が賑やかに明滅していた。

映画館といっても、ショッピングモール内の施設で、いわゆるシネマコンプレックスというやつである。入り口にあった館内図を見、それが三階にあることを把握する。

思いの外、早く到着してしまった。とりあえず、観ようと決めていた映画のチケットを、先に購入しておく。映画が始まるまで、まだ三十分以上時間がある。

「開演までの時間を一体どうしようか……」

晩飯がまだだったので、同じ階にある、飲食店の集まる一角へと歩を運んだ。和食、イタリアン、中華、様々なレストランが軒を連ねており、手ごろな店はないかと、まずは一通り店を見て回る。しかし、そのほとんどがファミリー層向けのものであり、また、どれも中々の値段がした。最近は色々と出費があったので、なるべく節約したかった。あきらめて、その場を立ち去ろうとしたところ、チェーン展開されている、名の知れた定食屋を見付けた。店頭のショーケースには、食欲をそそる料理メニューが陳列されており、他の店と比べ、そこまで値段は高くなかった。開演までまだ充分に時間はある。ここで軽く食事をとることを決めた私は、空いている席があるか、外から店内を覗いてみた。男女二人連れが、窓際の席で向かい合って食事しているのが目に入った。どこか二人には初々しい感じがあって、まだ付き合い始めたばかりの新鮮な緊張感が窺えた。その奥には、四人掛けのテーブル席があって、親子連れが賑やかに談笑していた。フォークを鷲掴みする男児の行儀の悪さを注意する母親と、その様を穏やかに見つめる父親の姿が目に映った。

一寸、私は入店することを戸惑った。

先ほど私が眺めていたショーケースの前に、大学生と思しき若い男三人組がいつの間にか立っていた。料理メニューを見ながら、あれこれ会話をしている。「ここ安いじゃん。ここにしようぜ」「俺、この定食屋、前にも来たことある」、といった、歓談する声が聞こえてきた。日頃より仲の良い友達三人組なのだろう。会話の雰囲気から、楽しげなグルーヴが伝わってきた。おそらく、日中どこかで遊び、その帰りに夕食で立ち寄ったのだろう。日中の高揚感がまだ少し残っている様子で、その余韻を今から三人で残らず堪能しようという心積もりなのかもしれない。

結局、私はどの店にも入らないまま、来た道を戻った。

映画館前には、ソファタイプの待合席がいくつか点在していた。私はその一つに腰かけ、所在なくスマートフォンでネットニュースを読んだ。ふと正面を見ると、シルバーのネックレスをした男性が一人、足を組んで座っていた。ヴィンテージものとみられる渋く色褪せたダメージジーンズを履き、一切怯えを感じさせない、凛々しい顔つきをしている。私と同じようにスマートフォンを眺めているが、その使い方は私とは異なって、おそらく待ち合わせの連絡をしている。それは思った通りで、数分後、小走りで彼のもとに駆け寄る女性が現れた。紺のガウチョパンツとクリーム色のサマーニットが似合う、清爽な女性だった。艶のある黒髪を揺らし、彼と合流した彼女は、はにかんだ表情をみせた。その女性が、照れと喜びの混じった、はにかんだ表情をしているのを、はっきりと私は確認した。

映画の開始時刻を再度確かめようと、事前に買い求めたチケットを財布から取り出した。

「もうそろそろだ。五分前なら、もう入場できるんじゃないか」

待合席のソファより腰を上げ、入場口へと向かった。受付スタッフにチケットを渡し、指定されたスクリーンで、目的の映画を観た。

――二時間程度の映画を観終わり、ショッピングモールを出れば、時刻は二十三時をまわっていた。当然、この時間帯ではどこも店は閉まっている。夜の静けさがずっと遠くまで行き渡り、星の瞬きが、何か、音で聞こえてきそうな夜だった。

行きの際に利用したバスは、本日の運行を終了し、帰りは歩いて駅まで向かわねばならなかった。外灯が少なく、人通りのほとんどない、うら寂しい車道沿いを歩いて帰る。錆びたガードレールが、小学生の頃の通学路を思い出させた。

映画の内容は、まずまず納得のできるものだった。また、少し遠出をし、だらだらと過ごすことのない、よい休日の過ごし方だった、と、夜道を歩きながら今日一日を振り返る。

歩きながら、足元の自分のスニーカーに目をやった。右、左、右、左、右……交互に足を前に出す。それをずっと見ていると、歩く、ということが、妙に寂寥感を覚える運動に思われた。

道の先に歩道橋が見えてきた。あそこを越えると、駅はすぐ近くである。

映画館に行って、家に帰る。別に、誰も恨む者なんていない。

@ryotaism