「寝て終わる休日」について。
夕方。睡魔に襲われる。うとうとと、布団に横になる。目を閉じた瞬間、ロウソクの灯がふっと消えるように、意識が消失する。
気づけば二十時。部屋の明かりはつけっぱなし。べっとりと窓の表面には黒が塗られている。燦々と陽の光が降り注いでいた外の景色はもうない。
「また寝てしまった」
身体が疲れているのか、近頃は休日のほとんどを寝て過ごしている。ちょっとこれではいけないな、と思い、昨夜早めに就寝し、たっぷりと睡眠をとった――にもかかわらず、またしても眠りに落ちてしまった。外出すればこのような事態を回避できるのかもしれないが、そう都合よく外に用があるわけではない。やむなく室内で過ごすと、注意を払っていても、いつの間にか布団の中で眠っている。
せっかくの休みだから、内容の濃い一日を過ごしたい、と思うのだが、寝て終わり。いや、なにもこれは休日に限った話ではない。私の人生がそのようにして経過している。淡々と年を重ね、三十二歳。来月には三十三歳になる。昨年の誕生日、日記をしたためた。あれから約一年が経つ。しかし、まるでその実感がない。
「時の流れを肉眼でとらえることはできないが、実はとんでもない猛スピードで、人生のラストへと突き進んでいるのではないか」
通常の再生スピードではない。早送り再生で、人生は経過している。殊に問題なのは、何事もなく消費されている毎日、淡泊な日々。いや、細部をみれば、実際は、何事かはある、あっただろう。しかし、それらはイベントと呼ぶには物足りない、記憶に残らぬ些末な事ばかりであった。
「空白の日々――」
そして、あっという間に歳月が過ぎていく。濁流の如く、時間は、一切を待たずに流れる。何かをしていても早く過ぎる、しかし、何もしていないと、もっと早く過ぎる。
空白はいくら重ねても、空白である。物足りないのではなく、「無い」のである。
起きたばかりの身体には、少しのだるさがあったが、対照的に、脳ははっきりと目覚めていた。それは充分な睡眠をとったことを裏付けていた。
すぐには身を起こさず、しばらく布団の上で仰向けになって、白の天井を見つめた。チッ、チッ、チッ、チッ。壁掛け時計の秒針の音が、いやに鮮明に聞こえる。数分間、その音に耳を傾け、何度か瞬きをした。
「人生なんてそんなものなのかもしれない。過度の期待をするのは、お恥ずかしいナルシシズム、世の嘲笑の的となる肥大化した滑稽なる自意識、あるいは、単なるバカだ」
とはいっても、それで納得がいくだろうか。
休日は寝て終わる。このまま今日一日を無為に過ごしてはならない、と足掻いてはみせるが、はたして。@ryotaism
