しがみつくほどの人生なのか
「貧乏はイヤだ。ホームレスにはなりたくない」
「死ぬことが恐い。できれば健康で長生きしたい」
これが私の正直な気持ちである。
私は貧乏になることがイヤだ。そして、死ぬことを恐れている。
しかし、一方で、「そこまでしがみつくほどの人生だろうか?」、と思う。
かじりついてでも生きなければならないほど、私の人生は価値あるものなのか。
なぜに一体私は、そこまで自分の人生を大切に取り扱おうとしているのか。
33歳にもなりながら中学生のようなことを言うが。
「死にたくないから生きているし、貧乏がイヤだから働いている」
受け身な姿勢だな、これでいいんだろうか、と思う。
自分の人生を大切に、壊さないよう、慎重にあつかっている。私は、自分の人生がメチャクチャになってしまわないよう、安全に行動している。そうなってしまうことを、おびえているし、こわがっている。
しかし、よくよく考えてみれば、そこまでしがみつくほどの人生なのだろうか。どうなんだろうか。
「もらった命」と言う人もいれば、「ひろった命」と言う人もいる。
「どうにかもらった命」と呼ぶのか、「どうせひろった命」と呼ぶのか。
ーーなんにしたって、私は貧乏になることがイヤで、死ぬことを恐れていることに変わりはない。そこは当分ぶれないと思う。@ryotaism
