三十四歳になって今思うこと。
久々のブログ。
先々月、八月十四日――。
三十四歳の誕生日を迎えた。
気付けば、すでにおっさんであり、知らぬ間におっさんである。おっさんになるとはそういうことである。
正直なところ、気分はまだ二十代の頃のままで、自分が三十四歳だという感じがしない。
しかしその実、生きてきた年月は、まぎれもなく三十四年であり、そのぶん肉体は老化している。
三十四歳。
「若いね」と言われる年齢ではなくなった。
いや、それは数年前からそうなのだが、あらためて、「『老いる」というのは不可逆で、私はこの先、『若いね』と言われることは一生ないのだろうな」と思う。
「年をとりたくない……」
「この年齢になると、誕生日がうれしくない……」
そんなふうに思うときがあるのは確かだ。普段、時間をともにする周囲の仲間が、自分よりも若いとなれば尚のこと。羨望する。
けれど、そんなことを言っても、どうしようもない。どうすることもできない。
年をとることは、決して悲しいことなんかじゃない。
人間、だれしも年をとる。
いつかは皆、必ずおっさんになるし、おばさんになる。それは避けられないのだ。
ならば、その現実を早い段階で受け入れて、前向きに受け止めて、『良い感じに年を重ねていこう!』と考えるべきだ。
ステキな年のとり方を目指そう、そんな大人になろう。
三十代、四十代、五十代……。『年相応の魅力』というものがある。
年をとることは決して悲しいことではない。
むしろ、『深みのある人間になっていく』『熟成する』、ということである。
そう思わないだろうか?
私はそうは思わない。
「年をとるって、哀しいことだよなぁ」と思う。
「人の一生は儚い」と云う。「だから、美しいのだ」と云う。
「老いることは、儚くて、哀しいこと」――私はそう思うし、それでいいんじゃないかと思う。
そのほうが自然であり、ポジティブはどこか、不自然なことのように思える。
美しさとは何だったか。どういうものだったか。
「またひとつ、年をとったなぁ」――背をまるめ、酒を片手に、しみじみ“老い”を哀しむ。誕生日おめでとう。@ryotaism