三十代この頃、死にたいなんて思わなくても生きていけるようになって
予想通りというか、なんというか。
二十代のころは、繊細で、メンタル弱々しくて、
「死にたい。生きている理由がわからない」と言っていたものですが、なんなら、自殺願望のようなものもあったのですが、
やはり予想通りといいますか、三十代に突入すると、そのような繊細な感覚は鈍っていく。
“鈍感”になっていく。いい意味で“適当”になっていく。“力の抜きどころ”を知るようになる。「死にたい」なんて、あんまり思わなくなるようになる。これが年齢のおかげなのか、どうかわからないけど、
“もし上手に生きるコツがあるとするなら、あらゆることに深刻になりすぎないことね”
――という言葉、何かの小説に書いてあったけど、まぁそういうことを、三十代になって覚える。
生きるって大変なことだったけど、三十年以上生きると、なにかコツみたなものを覚えて、逃げ方や、力の抜き方を知って、「なんとなくうまく生きていく方法」を覚える。
ちょっと変な言い方になるんですが、
『死にたいなんて思わなくても生きていけるようになった』。
「死にたい」という気持ちを持つことは決して自らの命を粗末にしているのではなく、むしろその逆で、「真摯に生きる」ために必要なことだった。
どこかのマンガのようなセリフですが、
“生きることに対して真面目だからこそ、死にたいと思う”。
ところが、三十代に突入すると、もうそんな「真面目さ」を失ってしまった。
『死にたいなんて思わなくても生きていけるようになった』
生きている意味なんて分からなくても、生きていけるようになった。
なんとなくでも、生きていけるようになった。
それがいいのかどうかはわからないけど、とりあえず、今私が思うのは、
結局、私が二十代のころに抱いていた「死にたい」は、いわゆる「若者特有のやつ」だったのかなぁ、なんてことを思います。
とはいえ、この先どうなるかわからないし、「死にたい」は事故みたく遭遇することはありうるだろうと思う。40~60代の自殺率は、30代よりも高いと聞くし。@ryotaism