湖


いま私は30代後半なんですが、

20代のころ、「『いつか死ぬ』ということが救いに感じる」、そんなときがありました。

一見すると、『いつか死ぬ』ということは、暗く感じられてしまう、悲しいことのように思われるのですが、
“いつか死ぬ”、それはつまり、辛いことや苦しいことは永遠に続くわけではないことであり、そのことが一種の“救い”に感じることがあります。

「死んだら楽になれる」、そういう発想です。

死んだら、色々と生きていく悩みとか、もう考えなくていい。イヤなこととかも、全部なくなる。解放される。

でも一つ重要なことは、決して死にたいということではなくて、いやむしろ、どちらかといえば死にたくはない、『いつか死ぬ』という未来が自分には約束されているということです。そのことが“救い”なんです。

『いつか死ぬ』ことは、自分の意思ではない。自分の意思で決めたことではなく、“決まっている”こと。未来のこと。

なにかに絶望するとき、それは「未来」に絶望するときです。
今、現在だけの悩みではない、この先もずっと、「未来」においてもこの悩みが継続することがつらい。

しかし私は安心する。
その未来には、私や他者の意思関係なく、『いつか死ぬ』ことが待っている、終止符がうたれることが約束されている。これはやはり、一種の“救い”ではある。


人生100年時代、死は遠い


しかし、このような発想は20代までであって、
先日、このブログで書いたように「人生100年時代」が到来している(到来というか、以前からずっとそうだったのかもしれないが)。

『いつか死ぬ』のは間違いないが、ではいつ死ぬか?といえば、それは随分先になる可能性がある。


つまり、死ぬまでが、けっこうな長期間なのである。

「『いつか死ぬ』ということが救いに感じる」。
これは確かにそうかもしれないが、あくまで気持ちの面で救われるだけであって(気が楽になるけであって)、もちろんそれだけでもじゅうぶんに大きな効果なのだが、この発想だけで完全に突破できるかというと難しい。

私が思っているよりも、死はずいぶんと遠いのだ。

『いつか死ぬ』ことは、私を慰めてくれる。多少の勇気もくれる。
けれど明日以降、死ぬまでの長期間における具体的な対策や行動は与えてくれない。

一時的に気持ちは楽になるが、解決とはならない。

だから、はたしてそれは本当に“救い”といえるのだろうか?

「『いつか死ぬ』ということが救いに感じる」、そんなふうに思っていたけど、なんだか、今の私にはちょっと違うように思われる。


他人と自分を比べるとき


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少し話は変わるが、
『いつか死ぬ』ということは、他人と自分を比べてしまうときに、視野を広げてくれる。

トップYoutuberや、成功している起業家をみると、
「いやぁ、すごいなぁ。自分とはぜんぜん違うなぁ」と思うことがある。

しかし、その人も、どの人も、成功している人も、私も、だれもかれも、『いつか死ぬ』。

その点においては、まったく平等だ。

私とは違う人間のように感じたとしても、『いつか死ぬ』ということにおいては、まったく同じなのだ。同じ人間なのだ。

お金や地位は、何かのきっかけでなくなったり失ったりするけど、
『いつか死ぬ』ことは、たとえ何があっても変わらない。


成功している人も私も、これから変化していく。明日にはそれぞれ変わっているかもしれない。お金や地位、人格でさえも、変化していく。

他人と自分を比べてしまうとき、
どうせ比較するなら、明日もあさっても変わらない、共通点をベースにして比較してみる。

変わらないもの、不動の、絶対的な共通点、それは『あの人も私も、いつか死ぬ』ということだ。


そのことを忘れず、そのことを抑えたうえで、他人と私を比べてみる。
すると、これまでとは違った見え方がしないか。なんだたいしたことないな、そう思うかもしれない。


さいごに


ざっくばらんに思っていたことを書いてみました。

とりあえず書くことが大事だと思って。

もうじき春。きれいな桜がみれたらいいなと思います。

では今回はここまで。