おそらくこれが2020年、最後のブログ投稿になるのだろうと思う。
といっても、今年これが3本目の投稿であって、ほぼ更新していないに等しいのですが。
振り返ってみて、幸せな1年だったなと思う。
楽しいことがたくさんあった。もちろん苦しいことや嫌なこともたくさんあったけど。
今年はコロナの影響で、社会は一変したけど、僕自身の生活でいうと、そこまで大きく変わることはなかった。
たとえば仕事がリモートになるわけでもなく、給料に変動があるわけでもなく。休日の過ごし方についても、もともとインドアな人間であったから、自粛ストレスを感じることもなかった。
昨年と比べて、変わった点といえば、映画を今年はたくさんみた。
あと、テレビゲームを少しやるようになった。
あいかわらずお酒は毎日飲んでいる。
買い物でいうと、新しいipadを買った。
おもしろい本を何冊か読んだ。
2020年はそんな1年だった。じゅうぶんだと思う。
来店はどうなるんだろうな。楽しいことが多いといいな。
@ryotaism
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2020
2020年12月23日 投稿:フクモリ
「いいね!」されないとSNSのやる気が起きない人
2020年7月7日 投稿:フクモリ
みんな何のためにSNSやっているのだろう。
例えば、Twitterやインスタグラムなど。
表題では「いいね!」と書いたけど、「いいね!」をもらえなくっても、誰かに見てもらえるからSNSやるんだろう。
承認欲求といった言葉があるが、認めてもらう・もらわないを問わず、少しでも自分に注目してもらえる瞬間や可能性があるから、SNSに投稿をする。
しかし、それがなくなれば、当然、SNSなんてやらなくなる。やる気が起こらなくなる。
つまり、SNSは「孤独な人が孤独なままで楽しめるコンテンツ」ではないのだ。
何をいまさら・・・ではある。
SNSは、そもそも“他者との関わり”こそが大切な要素であり、それこそが本質なのだ。極論、他者との関わりなくして、SNSは楽しめないのだ。
***
間違っているかもしれない。いや、間違っている前提で聞いてほしいのだが、
「仕事もうまくいって、家族ともうまくいって、恋人ともうまくいってて、生活する上での収入もあって……」
という、そんな人がSNSに投稿する理由って、何かあるんだろうか?
SNSは、何か、足りていない、欠けている、生活のスキマを埋めるためにあるのではないか?
よって、満たされている人にSNSは必要ないのではないか。
よって、満たされている人にSNSは必要ないのではないか。
ただし、例外はあって。それは「ビジネスとしてSNSを活用する人」である。今、SNSで精力的に投稿している人って、たいていそういう人じゃないでしょうか。SNSはそういった、“声の大きい人”によって占められているように感じる。(——夢を持っている人、かなえたい人も、これに含まれる)
ビジネス/自己実現活用ではない、それ以外の理由でSNSの投稿をするって、いったいどういったときだろう。
孤独なときである。
誰かに見られたい、誰かに「いいね」されたい、誰かとの「つながり」がほしい。
そんな、孤独な人が、小さな声で投稿する、何かのスキマを埋めるための場所。
ビジネスでも自己実現でも、バズりたいわけでもない。
孤独だから、つながりたいから、SNSに投稿する。
孤独と幸せ
2020年1月30日 投稿:フクモリ
“「孤独ではないこと」を「幸せ」と云う”
ーー私にとって、幸せとは所詮そんなものだ。
孤独ではないことが、私にとっての幸せ。
仲間や、家族、恋人……大切だと思える人と過ごせる毎日は、幸せだ。
「孤独ではない」、それだけで「幸せ」なのだ。私にとっては。
孤独ではないーー幸せであると、満ち足りた気持ちになる。日常の中で嫌なことがあって、その気持ちが欠けたとしても、すこし経てば、また満たされる。
私の人生は、孤独だと感じていた時期と、そうでない時期とで二分される。
私が孤独だったとき、あのときの私は、どんな私だったか。思い出せそうで、思い出せない。
一度人は孤独ではなくなると、孤独を忘れる。
再び孤独にならない限り、もう孤独を思い出すことはできない。
幸せな人間が、不幸を想像することはできない。
幸せな人間は、今の幸せに浸かる。満たされた私は、どうやっても満たされたまま。
幸せとは、不幸なことに不可逆である。
欠けてもすぐに満たされ、渇いてもすぐに潤う。
孤独ではない、そのように思わせてくれる人たちと出会う。運命的にせよ、偶然にせよ、そういう人たちと、どこかのタイミングで出会う。
人生は変わっていく。孤独ではない自分へと変わっていく。幸せなほうへと変わっていく。
もう不幸ではないし、孤独ではない。
孤独ではない、それは幸福を「得る」こと、と同時に、孤独を「失った」こと。
「孤独ではないこと」を「幸せ」と云った。しかし、幸せとは不幸なことに、不可逆であった。
もう孤独な自分はどこにもいない。
まったくこれは幸せな話である。
SNSやブログで情報発信をすることと私。
2019年11月17日 投稿:フクモリ
前回のブログ更新から随分日にちが経ってしまった。
前回:明けまして2019年
特に書くことがない、というか、書きたいという気持ちが起こらない。
ネタのあるなしではない。「インターネットに書き込みしてだからどうなる」と思ってしまう。
とはいえ、インターネット時代である、情報発信の時代である。わかっている。だからなんとか私もその流れにのろうと、SNS含め、無理にでも書こうと発信しようとするのだが、しかし途端、やたら億劫になって辞めてしまう。
こんなんでいいのだろうか。もっとうまく、SNSやYoutubeを活用したほうがいいんではなかろうか。次にブログを書くのはいつになるのか。
いや、もうこのままでもいいのかもしれない、つまり、SNSやブログと特に関わる必要なんざないのかもしれない。「それはそれでいいことだよ」、と。しかしその結果目に見えているのは、ネットに疎いおじさん、になっていくのだろうなと思う。
明けまして2019年
2019年1月10日 投稿:フクモリ
明けましておめでとうございます。
2019年ですねー。
ブログ更新がかなり減ってしまったのですが、、、気まぐれで投稿します。
それにしても、悲しいことは起こるものだなぁと思う。
大きな災害や事件・事故といった、いわば非日常的な事だけでなく、
普段の日常生活の中において、日頃、悲しいことは起こる。
それは一つ一つがとても小さなものではあるけど、いってみれば、チクッとトゲが刺さる程度の痛さでしかないのだけど、やはり、まったく無傷の生活などはありえないのだろうなと思う。